2018年4月、強風で倒れてきた看板の下敷きになり、下半身不随となったアイドルの猪狩ともかさん。彼女が著書『100%の前向き思考』(東洋経済新報社)を上梓したと聞いて、どんな内容を想像するだろうか。おそらく、大きな「喪失」を乗り越えてアイドル復帰へと至る「回復」の道のりだろう。
しかし、彼女が事故以前に歩んできた厳しいアイドル人生を抜きに、その物語を始めることはできない。それはまさに挫折の連続であった。(全2回の1回目。2回目を読む)
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オーディションに落ちて、「見習い生」からのスタートだったんです
――まず猪狩さんが所属する『仮面女子』の特徴を伺えますか。
猪狩 仮面女子は、顔を仮面で隠して個性を消し集団でパフォーマンスすることが売りのアイドルグループです。仮面女子の中にもユニットが分かれていて、それぞれにコンセプトがあります。私は『スチームガールズ』に所属していて、ガスマスクを被りスチームガンを持ってパフォーマンスをしたりしています。
普通のアイドルグループさんだったらおそらく入った時点で正規メンバーなんですけど、仮面女子の場合はユニットに所属しない「アリス嬢」から「研究生」、「候補生」、「仮面女子」と昇格していく独自のルールがあるんです。こういった仕組みなので、他の事務所のオーディションに落ちた子達が集まってくる場所でもあります。
――猪狩さんは中でも特に苦労された経歴の持ち主ですよね。下積み期間が当時最長で、「見習い生」からスタートして仮面女子になられた初めての方でもあったそうですね。
猪狩 はい。私は仮面女子の事務所のオーディションにも落ちているので、「アリス嬢」からさらに手前の「見習い生」からのスタートだったんです。入所が2014年の5月で、仮面女子になれたのが2017年の2月なので、約3年です。
――下積み期間中の話で「見習い生として働いていたメイドカフェの時のファンが、昇格した時についてきてくれなかった」エピソードが印象的でした。
猪狩 私がメイドカフェを卒業して正式に事務所に所属したら、そっちでも応援してくれるのかなと思ったんですけど、ついてきてくれた方は2~3人ぐらいしかいなかったんです。
でも、今ならその気持ちも分かる気がするんですよね。野球で例えると、贔屓の埼玉西武ライオンズの大好きな選手が他球団に移籍したら、そのままその人を応援する人より、ライオンズでまた新しい推しの選手を見つける人のほうが絶対多いじゃないですか。その「箱」が好きというか。