※文春野球コラムは“代打制度”を導入しました。今回、中日ドラゴンズの筆者は竹内茂喜に替わりまして代打・石黒謙吾です。

【竹内茂喜からの推薦文】
 9月に入っても相変わらずパッとしない我がドラゴンズですが、文春野球では攻めダルマとなって戦い抜きます! そこで8月に続き、ドラゴンズ愛に溢れる先輩を代打に起用。著述家・分類王、ミスター星稜の石黒謙吾さんにナゴヤドームの屋根をブっ飛ばす勢いの大ホームランを放ってもらいます!

【プロフィール】
石黒謙吾/いしぐろ・けんご
著述家・編集者・分類王 1961年 金沢市生まれ 星稜高校卒
 草野球生活38年目で毎年30試合超える1000試合出場の現役プレーヤー。草野球チーム「星涼」 代表・監督・投手・捕手・内野手 背番号14。草野球以外のサイドビジネスで、『盲導犬クイールの一生』『分類脳で地アタマが良くなる』『2択思考』『エア新書』『図解でユカイ』『ダジャレ ヌーヴォー』『ベルギービール大全』『ナベツネだもの』など著書多数。プロデュース・編集では、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一、菊池良)、『負け美女』(犬山紙子)、『ジワジワ来る○○』(片岡K)、『餃子の創り方』(パラダイス山元)など幅広いジャンルで250冊超。

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草野球チーム「星涼」での投球シーン ©石黒謙吾

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「勝って有名になる」に変貌した星稜高校

 コミッショナー・村瀬秀信さん、ヤクルト・長谷川晶一さん、横浜・西澤千央さん、そして、今回ご指名頂いた、我が中日・竹内茂喜さんと、4人も仲良しがいる中では、子供が校庭でやるゴロベース(30代以下はググること)の気分でベンチに入った。が、そもそも「文春野球コラム」ではなく、実在の「文春野球部」一員としてのプレーヤー魂がメラメラとなったところで、グリップにはぺっぺとツバを飛ばし投手にはガンを飛ばしつつ、ネクストからボックスへ、ちんこのポジショニングを気にしながら向かうとしよう。

 中1でルーツ監督の赤ヘルブーム。『週刊ベースボール』の定期購読を始め、時事通信社運動部野球記録アルバイト時代までは、12球団支配下選手全員の背番号と出身校を覚えていたプロ野球オタクも、年齢とともにアマ野球と野球技術論でキャパいっぱいに。ついに、12球団スタメンの半分もわからなくなってしまったオレは、ドラゴンズの背番号さえ岩瀬ぐらいしかパッと出てこないほどに。11番は小笠原でも憲伸でもなく三沢と答えそうだし(知らんがな)、8番なら大島でも平田でも森野でもさらには彦野ですらなく島谷と答えそうだ(もひとつ知らんがな)。ちなみに、中日の堂上といえば名電から入った剛裕でも直倫でもなく金沢高校から入った照だ(父親だよ)。

 売り出し中の新人、京田の背番号ですらわからない。わからないけど同郷ということで応援している。日大時代に神宮で見て、こんないい選手が県外の青森山田に行ったのかよこんちくしょう! と声を荒げたのは、なぜ母校である星稜に来なかったんだという言われなきインネンである。

 そんなオレが、このプロ野球ネタコラムの何が書けるのか。ぼんやり考えながら京田の活躍をネットで見ていたら、石川県ー星稜ー小松辰雄&音重鎮ー中日ーとつながってアイデアが浮かんだ共和国! 5位に喘ぐチームを浮上させる超ダイナミックな改革案、「中日星稜ドラゴンズ」の結成である。キーワードは「負けグセから勝ちグセへの変貌」。

 星稜は、箕島との延長18回、明徳戦の松井5敬遠、決勝で山本省吾がボロボロで帝京に敗れるなど、昔は高校野球界に名を残してきた要素が「負け」だった。サッカーでも、本田圭祐が準決で市船に終了直前に追いつかれPK負け、国立最後の年の決勝で富山第一に残り3分から2点差を追いつかれ敗戦。「負けて有名になるのが星稜」という、ドラマチックではあるがトホホな冠を頂いていた。しかし、サッカーは翌2015年に国立で優勝。野球はその半年前、夏の甲子園、県大会決勝の北陸大谷戦で、9回0−8から奇跡の逆転で海外でも話題になるなど、ついに「勝って有名になる星稜」に変貌したのだ。 

星稜高校時代の松井秀喜 ©文藝春秋

 この長年かけてネガからポジに変わった「運命」をドラゴンズにも引っ張り込めばいいじゃないかと。具体的には、星稜からプロ入りした選手だけのオールスターを、新旧ひっくるめて作るという大ナタなプロジェクト。これぞドリームチーム! この場合のドリームは夢のようなという比喩ではなく、夢でしか実現しないというリアルなドリームだ(へんだが)。とはいえ夢で優勝に遭いましょうと推進あるのみ。するとOBに誰がいるかなど普通みんな、特に若い人は、知らんがな……なはずだからまず書き出してみる。1978年に中日にドラフト2位で高校から直接入団、オレの1つ上、小松さん(14期)が最初。