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 ゆえに、総建設費には約200億円の税金が投入された。さらに2019年末の閣議で決定した同年度補正予算案では、ウポポイのPR費用などとして38億1600万円が確保され、年間来場者数100万人を目指す方針がぶち上げられた(その後のコロナ禍によって目標達成は難しい状況だ)。

 このように「マシマシ」で多額の税金がブチ込まれるいっぽう、ウポポイの建設方針が軌道に乗るや、本来は政府のアイヌ政策にアイヌ自身の意見を反映させる場だったアイヌ政策推進会議は2018年12月を最後に開催されなくなった。そして、完成したウポポイからは、インバウンド誘致と経済活性化という目的にそぐわない要素が削ぎ落とされることになる。

触れる展示……のはずが、現在はコロナ禍で触れない。コロナがらみの事情ばかりは仕方ない。

「アイヌ差別」は表に出すな

「国立アイヌ民族博物館の展示方針については『差別などの暗い部分をピンポイントで取り上げないでほしい』という要望が、展示検討委員会から出されていた」

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 私が取材した博物館関係者はこう話す。この展示検討委員会とは、文化庁が2015年7月に設置した有識者委員会だ。「第三者」を集めたとはいえ、実質的には政府や文化庁の意を体した機関とみていい。

 事実、ウポポイ敷地内のアイヌ民族博物館の展示からは、ある内容がごっそりと抜け落ちている。それは明治時代以降に近代日本が進めたアイヌ同化政策と、長年にわたり官民問わず存在したアイヌ差別についての明確な言及だ。

広大なウポポイの敷地。パンフレットより。

 たとえば、1899年(明治32年)に制定され、結果的にアイヌの和人への同化を後押しした「北海道旧土人保護法」や、アイヌ児童向けに設けられた「旧土人学校」などについては、私が見た範囲では言及が非常に薄い。

「旧土人」という呼称は、戦時中の1942年に当時の東条英機内閣が「一種ノ侮蔑感ヲ聯想」すると改善を閣議決定したほど、ごく早期から問題視されていたのだが(ただし旧土人保護法は1997年まで残る)、ウポポイではあまり語られない歴史になってしまった。

インバウンド外国人客には隠される情報

 また、戦前に北海道大学医学部の教授が勝手にアイヌの墓を掘り返して1000体以上の遺骨を収集した行為への言及もわずかしかない(慰霊碑はウポポイの一施設として、博物館から1.2キロ離れた場所に存在するが、遠足などでプログラムに組み込まれない限り、わざわざ行く個人旅行者は少ないだろう)。

 1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会で、沖縄の琉球人や北海道のアイヌが生身の見世物として「展示」された人類館事件も、近代アイヌ史では重要な事件だったはずだが、詳しい言及はなされていない(展示内容では「博覧会に出た」ことだけが書かれている)。

昭和期のアイヌの偉人についてのパネル展示。彼らが本を出したことはわかっても、どんな主張をしたのかはよくわからない展示がなされているケースも多い。

 当然、現在でも一部の地域では厳然と存在する結婚や就職の際のアイヌ差別も言及されない。アイヌ語の話者がほとんどいなくなった理由も明確に説明されていない。

 より正確に言うなら、館内展示物である昭和期のアイヌ知識人が発行した新聞や雑誌をガラスごしによく読めば、差別や迫害の存在を知ることはできる。また、博物館の館長挨拶でも言及されている。ただ、これらはかなり注意深い人以外は気づかないはずだ。

 バイリンガル表記がなされた館長挨拶をのぞけば、ウポポイを訪問した日本語を母語としない人が、歴史の負の面についての情報を得ることは容易ではない展示内容になっている。