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2020/11/09

「まるでラピュタやトトロの森」

 どうせならば少しだけ「奥多摩むかし道」を歩いてみよう。急坂を登って神社の横を抜け、まるで登山道のような不整地の道に出る。すると、右手にはナゾのトンネル、左手には朽ち果てた古レールと古まくら木。どうやら、奥多摩むかし道には並行してナゾの廃線があるようだ。廃線を見つけたら辿ってみたくなるのは人の性。山登りは苦手なのでそこそこに引き返そうと思っていたが、さらにむかし道を進んでいくことにした。

朽ち果てた古レールとまくら木。どんどん“ジブリ”感が増していく (筆者撮影)
レールはすっかり風化していた ©文藝春秋

 朽ちたレールはむかし道のすぐ横をずっと並んで進んでいく。どうやら廃線は橋の上を通っているようで、レールが敷かれている橋桁も錆び果てている。さらにコンクリート造りの大きな橋も見えてくる。コンクリート造りとは言ったがほとんどが苔で覆われて周囲には奥多摩の木々がかぶさって、その先には漆黒のトンネルが口を開けている。まるでラピュタかトトロの森か。

まるでラピュタやトトロに出てきそうな雰囲気 (筆者撮影)

廃線跡の正体

 この廃線跡、正しくは水根貨物線という。奥多摩駅から多摩川をさらにさかのぼった先にある小河内ダム(奥多摩湖)を建設する際に、資材輸送のために東京都水道局がつくった貨物専用の鉄道路線だった。1952年に開通し、青梅線の奥多摩駅(1971年までは氷川駅といった)から実際に建設資材を運んでいた。例の漆黒のトンネルのむこうは不思議の町……ではなくて小河内ダム(だいぶ遠い先のほうだけど)。1957年に小河内ダムが完成すると、わずか5年の役割を終えて列車が走ることはなくなり、そのまま廃線と化したのである。

元々は資材輸送のための貨物専用鉄道路線だった (筆者撮影)
トンネルの奥からはかすかに光が (筆者撮影)

 ただ、建設当初はそのまま廃線化するつもりではなかったようだ。開通時の「開通要覧」には「小河内ダムの完成後は、奥多摩国立公園に一景観を添えることになろう」とあるから、観光路線化も視野に入っていたのだろう。1963年には西武鉄道に譲渡されているが、西武が当地の観光開発を目論んでいたのかもしれない。ただ、そうした夢は果たせず、1978年には奥多摩工業に譲渡され、水根貨物線として休止状態。ジブリ映画に出てきそうな廃線と化したのである。