ホームから見えたのはでっかい○○
そう思ってホームに降りると、まず見えてきたのはなんとでっかい工場であった。大きく「奥多摩工業」という看板が掲げられている。工場は青梅線の終端の車止めのすぐ先、線路がそのまま伸びれば工場に突入するようなところに建っている。ハイカーたちがよく似合う山間の駅には、いかにも不釣り合いな工場の姿。その不釣り合いな感じは“工場萌え”という言葉を当てはめるのにふさわしいのかどうか、筆者にはよくわからない。ただ、いずれにしても奥多摩駅に到着した電車をだいいちに出迎えるのは、この無骨な工場なのである。うーむ、この工場はいったい何なのか。
とにかく、駅の外に出てみることにした。階段を降りてホームから一段低いところの改札口をくぐり駅舎を出る。この駅舎、いかにも“山登り風”だ。駅舎の正面には「鍾乳洞」と行き先を掲げたバスが待つ。きっと、奥多摩名所の日原鍾乳洞に連れて行ってくれるのだろう。駅のすぐ近くには観光案内所やソバなどを食べさせる飲食店、土産物店などがぽつぽつ。やっぱり、奥多摩駅は“登山のための駅”であることは間違いないようだ。あのホームから見えた工場、幻だったのかしら……。
新宿から伸びる街道はここまでつながっている
気を取り直して、駅の近くを歩いてみる。1分も歩けば多摩川と日原川の合流地点。この多摩川がはるばる流れて以前訪れた天空橋駅の横っちょに流れ出ると思うとなんだか感慨深い。この合流地点の近くに架かった橋を渡り、さらに先へ進んでみる。すると、「奥多摩むかし道」の看板が。むかし道とはこれいかに。
調べてみると、奥多摩むかし道とは、かつての青梅街道のことだという。青梅街道といったらあの新宿の大ガード。甲州街道と分かれて大ガードから延々と西に進みに進むと、この奥多摩に出るということだ。川を渡った橋は国道411号、現在の青梅街道である。
青梅街道は江戸時代初期に大久保長安によって整備された街道のひとつ。青梅から奥多摩を経てさらに西に進んで峠を越え、甲府の手前で甲州街道と合流する。起伏の少ない甲州街道のほうが便利だったのではないかと思うが、実際には青梅街道のほうが8kmほど近道で、こちらを歩く人も少なくなかったとか。「奥多摩むかし道」はそうした青梅街道のいわば“旧道”なのである。