Q 社民党はどうしてここまで小さな政党に?

 11月14日に社民党が事実上分裂し、所属国会議員が福島瑞穂党首のみという報道がありました。一時は首相も出すことができた政党が、どうしてここまで小さな政党になってしまったのでしょうか。(30代・男性・会社員)

福島瑞穂氏 ©文藝春秋

A 総理大臣を出したあと、大胆に改革できなかったから

「一将功なりて万骨枯る」という有名な言葉があります。社民党は、社会党時代の1994年6月、当時の委員長の村山富市氏が自民党、新党さきがけとの連立を組んで総理大臣になったことで、滅びの道を進むことになったと言えます。なまじ総理大臣を出してしまったことで、党員数も支持者も減ってしまったのです。

 それまでの社会党は、「自衛隊は憲法違反の存在」「日米安保条約反対」を主張し、自民党の方針に反対の人たちの支持を得てきました。

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 ところが、村山氏が総理大臣となると、総理大臣は自衛隊の最高指揮官です。最高指揮官が「自衛隊は違憲だ」と主張するわけにはいかないと考えた村山氏は、社会党内部での議論を経ないで「自衛隊は合憲の存在である」と発言します。

村山富市氏が総理大臣になり、党は大きな「曲がり角」へ ©文藝春秋

 また、日本の総理として日米関係は重要だと考え、安保条約も賛成に転じます。

 これが、従来の社会党支持者を落胆させ、支持が減り始めます。社会党員の中にも党を離れる人が出て、衰退の道を歩み始めます。

 その後、社会党は社民党に名称を変え、穏健な体制内野党の道を進もうとする勢力と、従来の社会党路線に戻るべきだという勢力が対立。多くの議員が離党して民主党に合流して党勢が一気に落ち込んでしまいました。

 東西冷戦後、自らを大胆に改革することができなかったことが一番の敗因でしょう。

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