上昇志向を常に持ち、自己実現を果たしたという意識
ただし、こうした小室さんの意識は必ずしも彼特有のものでもないように思われる。
高度経済成長の時代、自身の環境を打破するために努力を重ね、高学歴となって一流企業に勤めるのはむしろあるべき姿とされたのではないか(美輪明宏が歌う《ヨイトマケの唄》の世界もまさにエンジニアとして出世した子どもが困難な環境を振り返ったものである)。
もちろん現在の社会は、こうした右肩上がりの時代ではない。皆が皆、上昇志向を展開しようとしているわけでもない。しかし、90年代から2000年代にかけて世界や日本で新自由主義的な政策が強化されて世に広まっていくなかで、個人主義的な風潮は高まり、自己実現が重要視され、かつてとは比べものにならないくらいの上昇志向を持った人々も増加したのではないか。
高度経済成長期のような上昇志向は持ちつつ、一方で「一億総中流の社会」として皆が平等・同じであるという感覚(まさに映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界と言えるだろうか)は薄れ、上昇のムーブに自身も乗らなければ、むしろ二極分化していく下降のスパイラルにはまってしまうことを恐れる感覚。
だからこそ、上昇志向を常に持ち、それを隠そうとせず、そして誰の助けも借りることなく自己の努力によって今の地位を獲得した(自己実現を果たした)という意識を持つ人々はいるように思われる。
対極にある「皇室像」が人々の支持を得てきた
ところが、平成・令和の皇室はこうした姿とは対極にあり、むしろそうした姿が人々の支持を得てきた。
頻発する自然災害のなかで、人々から忘れ去られてしまう可能性がある被災地に関心を寄せ続け、高齢にもかかわらず訪問を続け被災者の声に耳を傾けた平成の天皇・皇后の姿は、自己実現とは異なる姿のように見える。
二極化していく日本社会のなかで、むしろ自分自身に何ら責任がないにもかかわらず下降せざるを得ない人々に寄り添い、忘れかけている私たちにその問題を注視するようにうながしていたとも言える。そうした姿に、ある種の無私の意識や公平性を感じ、象徴天皇制の道徳性や権威性は高まっていたのである。
私たち自身、そうした天皇・皇后こそあるべき皇室像としてハードルを上げたとも言える。