高校野球、エースの「熱中症」「救急搬送」を報じなかった朝日
テレビや新聞はきれいごとばかりでええかっこしい。庶民ぶっているけどお前らマスコミこそ既得権益者のエリートであり権力者ではないかと感じる人がいて、そこを標的にすると大ウケする。雑な感情論を「本音」と称して。
政治家でもこの手法を使う人が増えた。海の向こうではドナルド・トランプなんかこれだった。“エリート主義的で偽善的”へのツッコミ。
メディアにはたしかに偽善は存在する。
朝日に対してよくツッコまれるのが主催する夏の高校野球である。
私は3年前に『高校野球「熱中症で力尽きたエース」記事が朝日新聞に見当たらない、という問題』(2018/08/03)を書いた。
西東京大会決勝で投手が試合後に脱水症状を伴う熱中症を発症したのだが、朝日は報じなかったのだ。他紙はエースの「熱中症」「救急搬送」を報じたのに。
朝日はこの試合を『「壮絶な試合」両校たたえる 閉会式で都高野連会長』と美しく報じていただけ。偽善は美談を発生させる。
正義を追求するが自分が関わるものは触れたがらない
このスケールの大きいやつが東京五輪ではないか? 『さよなら朝日』は広告代理店に勤めていた本間龍氏のインタビューを収録している。全国紙すべてが五輪のスポンサーになっていることに対し本間氏は、
《公正な報道、ジャーナリズムとしての監視などできるのでしょうか。》
《組織委にとって触れてほしくない「核心的利益」に関することに触れた報道はない。》
《なにも五輪に反対しろとか組織委を叩けとか言っているわけではない。税金の使途や使われ方をきちんと検証し、ごく当たり前の疑問点を当たり前に追及するべきではないか。》
正義を追求するが自分が関わるものは触れたがらない。これは「広告の出稿料を高くして載せたがらない」態度にも共通している。
これを解消し、克服するにはどうすればよいのか?
『さよなら朝日』第四章は「原発と科学報道」だった。「原発報道」は戦後ジャーナリズムの敗北の原点と書かれている。原子力の父・正力松太郎は読売新聞社主でもあったが「平和利用という御旗の下、科学技術礼賛の喝さいを送り国民や学界の不安や疑問の声をかき消していったのは、どの新聞も同じだ」と振り返る。
しかしそう書くと「過去の話はいいから、再稼働を止める記事を書いてくれ」と言われるという。著者があえて過去の話を書くのはなぜだろうか。