ここ数年、NHK『クローズアップ現代』についての話題が多いが、もし「上のほう」が日和っていたとしても現場は闘っているはずだ。テレビ朝日『報道ステーション』はウエブCMが炎上したが現場スタッフには見て見ぬふりの態度に納得していない人達もいるはずだ。朝日の記者にだって今回の広告出稿料問題に疑問を持つ人も多いだろう(でなければ困る)。
上がとんちんかんなことをやるほど「個」が声をあげていく。多様な声を見せていく。テレビ局は難しくても新聞社に勤める記者ならそうできないか。
いけない、ここまで書いて気づいた。『さよなら朝日』ってまさにそういう趣旨の本だった。
『さよなら朝日』は内部からの再生宣言
さよなら、というのは確かに刺激的だが、でもそんなに悪い表現なのだろうか?
著者は2020年に話題を呼んだ東海テレビのドキュメンタリー映画『さよならテレビ』のタイトルの意味について書いている。
「自分たちがかたくなに信じてきたこと、絶対そうあるべきと思ってきたことと、一回決別しないと再生するのは難しいかもしれない。裏を返すと、一度覚悟というか、さよならをする覚悟があれば決して暗くない、というところ」
そう、『さよなら朝日』も再生宣言なのである。内部からの。
この部分は本を開いてすぐに書かれている。つまり『さよなら朝日』のタイトルに反応して広告料を高くした朝日の人はこんな前半すら読んでいないのだろう(※そもそも本書は朝日新聞社のサイト『論座』に発表した論考をもとにつくられている)。
メディア本来の役割とは
メディア自身にも呆れる状況が続くが、それでも現場は言い続けなければならない。論を持たなければならない。それはなぜか。
「解説」で井上達夫(東大名誉教授)は次のように書いている。
《「新聞やテレビは嘘しか報道しない」としてSNSが提供するお気に入りのカルト的情報空間に自閉する人々を、異なった視点に立つ他者と事実検証を踏まえて理性的に討議する公共的空間に惹き込むこと、「媒介(medium)」というメディア本来の役割に立ち返ることは、すべてのジャーナリストがみな、いま担うべき責務である。》
『さよなら朝日』の広告、やっぱり朝日新聞に載せたほうがいいんじゃないか。