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朝日新聞が広告掲載を「拒否」した『さよなら朝日』を読んでみた いまこそ記者個人に求められる“新しいきれいごと”とは?

2021/04/20
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『さよなら朝日』という本を買ってみた。現役の朝日新聞記者である石川智也氏が書いたという。まずタイトルから面白そうではないか。

 するとこんな展開に。

『さよなら朝日』広告掲載を断念、柏書房がツイート 「通常の3.3倍の出稿料を提示された」(弁護士ドットコムニュース3月31日)

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 版元である柏書房のツイートによれば、本の広告を朝日新聞に掲載しようとしたところ、通常の3.3倍という高い出稿料を提示されて取り下げざるを得なかったという。

 えええ!

版元は「出版活動を萎縮させるような今回の対応は大いに疑問」

 朝日新聞は『さよなら朝日』の広告を読者に見せたくなかったのだろうか。

《自らの弱点を見つめ直すことからリベラルを再生しようという真面目な動機に基づいた本です(著者自身この程度の内容と書いています)。にも拘らず出版活動を萎縮させるような今回の対応は大いに疑問ですし、この対応は結果的に自社の記者の言論活動に対する圧力にもなり得るのではないでしょうか。》

©iStock.com

 柏書房のこのツイートは期せずして『さよなら朝日』のガイドにもなっていた。だって本書はまさに朝日的矛盾がテーマなのだから。

 では、朝日的矛盾とは何か。

本当はエリートなのに庶民派をきどっている

 著者はまえがきで、

「いま退潮し信用を失っているのは、日本でも欧米でも、標榜してきた普遍的な諸価値に寄り添うそぶりを見せながら、その実それらを裏切ってきた、エリート主義的で偽善的な自称リベラル勢力であり、それはある意味で当然のことと言える。」

 と書いている。

“エリート主義的で偽善的”というキーワード。小難しくなってきたのでアホっぽい話を入れよう。私は以前に、各新聞社を擬人化したことがある(拙著『芸人式新聞の読み方』)。

 そこで朝日新聞を「高級な背広を着たプライド高めのおじさん」と例えた。

《朝日新聞は「新聞は社会の木鐸である」という言葉をいまも信じて正義を追求する。論調は自他共に認めるリベラル。その一方で「大朝日」のプライドも見え隠れし、それが鼻持ちならないと他紙や週刊誌の格好のツッコミ対象となる。擬人化するなら、高級な背広を着てハイヤーに乗り込むおじさんをイメージしたい。》

 本当はエリートなのに庶民派きどっているんじゃないの? という意地悪な見方をしてみた。私はあくまでも新聞を楽しんでもらうつもりで書いたのだけど、近年マスコミに怒る人の批判もここに集約されているのではないか? 既存メディアへの不信と言いかえてもいい。