ジャオも、そこで神経を働かせる。派手な身振りを伴わないファーンのサインに気づく人々を、そっと画面に呼び出すのだ。つまり彼女は、ファーンを「単騎の漂流者」として直立させる一方、他の漂流者たちと穏やかに交流させる。
たとえばファーンは、アマゾンの配送センターでリンダ・メイというノマドと知り合う。彼女を通じて、RTR(車で漂流する人たちの集会)にも出席するようになる。「息子の自死から逃れられない」ボブ・ウェルズも、「カヤックから見たツバメの巣」について語りつづけるスワンキーも、なぜか記憶に残る人々だ。
背景は異なっても生活形態を共有する人々は、こうして物資や知恵を交換し合う。タイヤがパンクしたときはどうするか。排泄用のバケツはどのサイズがよいか。GPSはどんなときに必要か。どれも現実的な知恵だ。まだある。身近な家族や友人を失ったときどうすればよいのかという難問についても、彼らは低い声でささやきかわす。
この交流の場面で、マクドーマンドが光る。
光る、というのは、芝居が巧いとか、役になり切っているとかいった状態を指すのではない。
漂流者たちを演じるのは、少数の例外を除いて実際のノマドだ。マクドーマンドはそんな彼らから眼を逸らさず、その話に耳を傾ける。そして辛抱強く待つ。職業的俳優でない彼らが、真実の物語を述べはじめる瞬間の訪れを待つのだ。
すると、フィクションとノンフィクションの境界がゆっくり溶けはじめる。ジャオも、その瞬間を待っている。せっかちな文明批評には走らず、きびしい荒野とこまやかな感情が結び目を作る瞬間を、大きなハートでとらえようとする。
そう、この映画は『ノマド』ではなく『ノマドランド』と題されている。不安定だが強靱で、孤独だが自由で、苛烈だが寛容な人々が暮らす土地。アメリカとはもともとそういう土地だったはずだという思いが、ふつふつと湧いてくる。
アメリカを知りたければ、アメリカで生きている人々を知りたければ、ある深みまで降りていく必要がある。『ノマドランド』は、その地点を明示する。安定という日常から錨を抜き、漂流というもうひとつの日常を通してそこへ到達したジャオとマクドーマンドの勇気に、私は敬意を表したい。
監督:クロエ・ジャオ『ザ・ライダー』(17)、『エターナルズ』(21)。出演:フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーンほか/配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン/全国公開中/Ⓒ2020 20th Century Studios. All rights reserved.