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野球だけでなくバスケも上手い大谷

――一人暮らしを始めたんですよね。

「今までと変わらないですよ。寮でも一人部屋でしたし、洗濯も自分でやってましたからね。寮にいたときにはごはんが出てきましたからそこは違いますけど、こちらへ来たばかりの頃、栄養管理の人に来てもらっていたので、作り置きしてもらっていたものを食べたり、そのときに教わったものを自分でやれる範囲で作ったりしてます」

――練習が終わったら、何をして過ごしてるんですか。

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「お昼寝してます(笑)。最近は帰ったらお昼寝するんです、僕。で、夜になったらバスケットしてます。住んでるところにバスケットコートがあるんですよ。そこで一平さんとか、(チームメイトのピッチャー、アンドルー・)ヒーニーと一緒に、エンゼルスのシステムを教えてもらいながら、アクティブに、楽しくやってます」

――バスケットも上手そうですね。

「まあまあ、上手いです。まあまあ、ですよ(笑)」

僕がダメだったとしても、次の子が出てきてくれれば

――こうしてアメリカへ来てみて、5年前の、まず日本でやろうと決めた選択を、改めてどんなふうに感じてますか。

「(日本でプレーしなかった場合と)比較するのは難しいと思いますけど、遅くはなかったと思います」

――当時、ファイターズは「急がば回れ」という口説き文句を使って、高校生だった大谷選手を説得しました。

「そうでしたね。確かに回り道を選んだのかもしれませんけど、それなりに急いで回ったんじゃないですか。丁寧に、急いで遠回りしたんじゃないかなと思ってます」

――その結果、メジャーで二刀流としてやっていく自信を与えてもらったという手応えはお持ちですか。

「日本で両方やるとなったときも、僕は日本のプロ野球がどのくらいのレベルなのか、わかりませんでした。実際に打席に立ってみて自分が打てるのか打てないのか、マウンドに立ってみて抑えられるのかどうかということを実感して、それを自信につなげたのかなと思います。今回も、実際に入ってみて、けっこう打てるなとか、抑えられるなということを実感することが大事だと思うんです。やってみてダメだと実感したら、それはそれでいい。やらないというのがもったいないでしょう。だから、やってみる。で、実感する。自信はそのあとについてくるものなのかなと思います」

©文藝春秋

――そもそも、メジャーの球団が二刀流でオファーを出すなんてあり得ないという声が大多数でした。それが実際には、二刀流で、というチームがたくさんあった。そのことに対してはどう思っていましたか。

「それは嬉しかったですね。僕が日本のプロ野球に入ったとき、2つなんてできるはずがないのに、なぜやるんだ、という人のほうが多かった……少なくともそういうところは変えられたのかなと思うので、2つやってきてよかったなと思いました。この先は僕の頑張り次第で変わってくると思いますけど、僕がダメだったとしても、次の子どもが出てきてくれればそれでいいんです。一人失敗したからといって終わりだとは思いません。もちろん、一人目としてやるからには頑張りたいと思ってます」