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少年隊がデビュー

近田 そう。俺が京平さんと旅に出て、例によってカセットを交換した時、チャス・ジャンケルのヴァージョンを聴かせたんだよ。「これ、カッコいいですから」と言い添えてね。その後しばらくしたら、「ギンギラギンにさりげなく」がリリースされた。一聴して、これは「愛のコリーダ」をヒントにしたなと感づいたよ。 

──洋楽の換骨奪胎の手法が、ここに至って一段進化した気がしますね。

近田 70年代のそれは、誰が聴いても分かりやすい、あからさまな形を取っていたのよ。 

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──昭和47年に発売された欧陽菲菲の「恋の追跡(ラヴ・チェイス)」(作詞:橋本淳)なんか、米国のブラスロックバンド、チェイスの「黒い炎」(1971年)のフレーズをほぼそのまんま使ってましたもんね。

近田 そもそも、曲名からして因果関係を隠そうともしていない(笑)。ところが、80年代を迎えると、パッと聴いただけでは分からない引用が増えてくる。その元ネタを突き止めることに、俺みたいな物好きの人間は苦心したのよ。

──さっきの「センチメンタル・ジャーニー」みたいに、 年越しでようやく謎が解けるというケースすらあるわけですからね(笑)。 

近田 とにかく、ポップスにおけるキャッチーという概念に関して、京平さんの中で整理が進んだんだと思う。以前なら何となく山勘を張っていたような局面でも、きちんと内面化された論理に基づいて石を置くことができるようになった。インスピレーションを受けた楽曲についても、かなりしっかりと咀嚼し消化する余裕が生まれたわけ。

──昭和60年には、京平さんの作曲した「仮面舞踏会」(作詞:ちあき哲也)を引っ提げ、 少年隊がデビューを果たします。ジャニーズ事務所が、持てる力すべてを注いだ感がありましたね。

近田 デビュー曲の「仮面舞踏会」を聴いた時は、京平さん、脂が乗ってるなあとただただ圧倒されたよ。盆栽に喩えれば、見事な枝ぶりに感嘆するというかさ。