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理にかなった「言葉の乱れ」もある
また、「とても可愛い」「とても腹が立った」のような表現は現在では普通に使われているが、かつては「とても太刀打ちできない」「とてもそんな気になれない」のように、否定と一緒に使われる用法しかなかったという。窪薗晴夫『通じない日本語』(平凡社新書)には、柳田國男が「とても寒い」という表現を聞いて驚いた、という話が紹介されている。また同書によれば、「全然」は本来、その字のごとく「まったくそのとおりである」という意味であり、必ずしも否定とともに現れるものではなかったという。つまり「全然オッケー」とか「全然大丈夫」のような「全然+肯定表現」も、今に始まったものではないのである。
ちなみに言語学においては、言葉の変化は興味深い研究対象だ。たとえ「言葉の乱れ」にしか見えないような変化であっても、よくよく観察すれば「それなりに理にかなった変化」であることが少なくないからだ。
たとえば、言葉の乱れとしてよく槍玉に挙げられる「ら抜き言葉」も、「見られる」「食べられる」のような本来の形が「可能」か「尊敬」か「受け身」か「自発」かで曖昧なのに対し、「見れる」「食べれる」なら「可能」であることがはっきりするという利点がある。