1ページ目から読む
3/5ページ目

 また別の手として「検索してみる」という方法もある。私は自分の使おうとしている言い回しに自信がないとき、国立国語研究所の提供する『現代日本語書き言葉均衡コーパス』の検索サービス「少納言」で検索することがある。このコーパスでは用例の出典も明記されているので、どんな言い回しがどんなところで使われているかが分かりやすい。ちなみに、「少納言」で「にお集まりいただき」を検索したところ4件ヒットしたが、「がお集まりいただき」は0件だった。普通の検索エンジンを使うという手もあるが、妙な例も多数ひっかかるので注意が必要だ。

写真はイメージです ©iStock.com

「言葉の乱れ」問題

 最後に、さっきとは逆の立場――他人の言葉遣いの「おかしさ」を指摘する側に立って考えてみよう。

【相談】

 最近、人から「どんなお仕事をやられてるんですか?」と尋ねられました。これ、日本語として間違っていますよね? 他にも「ら抜き言葉」など、乱れた日本語を耳にするたびにイライラします。言語学者の役割は、こういう間違った日本語を正すことではないんですか?

 この手の質問に対して理論言語学者がどう答えるか、読者の皆さんにはもう想像がつくだろう。「きっとまた、『言葉は自然現象だから、むやみに正しいとか間違っているとかは言えない』とか、『言語感覚に個人差があるのは当たり前』とか言うんでしょ?」と思っていらっしゃる方も少なくないはずだ。実際、そのとおりだ。私自身、「やられる」のような敬語には強い違和感を覚え、「何で『なさる』とか『される』って言わないんだろう」とか、「『【殺(や)】られる』みたいで物騒だな」などと思うのだが、こういった「新しい言い回し」はいくらでも出てくるし、私が「変だから使うな」と声高に叫んだところで、淘汰されるものは淘汰され、定着するものは定着する。もしかしたら私も、近い将来に平気で「やられる」と言うようになるかもしれない。

ADVERTISEMENT

 実際、私たちが今「正しい」と思って使っている表現の中にも、かつては「そんな言い方はおかしい」と言われていたものがたくさんある。たとえば、今ではパソコンを起動することを「パソコンを立ち上げる」と表現するのは普通のことだが、20年ほど前には「こんな奇妙な言い方が流行っているのはけしからん」と言う人もいた。