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結婚生活や子育てって、こんなに辛く、みじめなものだったでしょうか

 私より年配の男性陣は「そんな育児や教育なんて嫁に任せっぱなしで良いんだよ」と簡単に言います。子供なんて手をかけなくても勝手に育つよと言い放つ世代はまだまだ根強くて、電車の中で泣く我が子に難儀をしているお母さんに舌打ちをしたり、休日の公園でわいわい遊ぶ園児の輪に向かって「うるせえ」と怒鳴り声をぶち込むのはだいたい初老以上のおっさんがたです。そんな場面にちょくちょく遭遇するんですけど、私なんかは「なんだとジジイ。年金暮らしがでかい顔しやがって」って大抵言い返すわけですよ。お前らの子供の頃は一言も騒がない置物のような能無しだったのかね。世間ではやれ待機児童だ男女格差だと騒がれますけど、世代間の子育て観の違いというか「俺達は苦労して育児したのだから、お前らも苦労するのだ」という謎の体育会系理論が日本社会全体を覆っているような気がするわけですよ。本来ならば「俺達が味わったような苦労を若い奴らにさせたくない」と思うのが尊敬されるジジイ像だと思うんですけれども、実際には見事に逆のことが起きているのかもしれません。

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 子供が減っていて大変だという一般論と、そういう子供を育てている最中の肩身の狭さという現実との間で悩んでいるばかりではないのです。最近では、結婚できない男性の割合が増え、子供を育てるための十分な収入を確保するために共働きがむしろ奨励されることになって、本当は一日中相手していてやりたい赤ちゃんさえも預けて働きに出なければならない家庭が増えています。父親だって、家事や育児の分担ができるぐらいの稼ぎがあれば問題ないのでしょうが、実際には奥さんに稼ぎが悪いとケツを叩かれ小遣いを絞られる残念な育児ライフを送っている人だって少なくないでしょう。それも、子供を預けて働くというのは意外にしんどいのです。ただでさえ給料が上がらないのに時短勤務になったり、熱を出したり怪我をしたりで頻繁に呼び出される恐れの中で同僚の理解を引き出しながら上手くやっていくという対人スキルを要求されます。うっかり管理職なのに育児期間中だとかなると、まあみんな大変そうです。しかし、給料を増やそうとすると管理職になってもっと働いて実績を出さなければ、どの会社でもなかなか経済的には楽にならないのが常です。ストレス解消に酒を飲みに行くでもなく、皆さん申し訳なさそうにそそくさと帰路につきます。結婚生活や子育てって、こんなに辛く、みじめなものだったでしょうか。

「レジャーに使えるお金も時間もないのです」

 社会調査でつらつら元データを漁っていると、いまの日本人の生きづらさが一個一個数字で出てくるような感じさえもします。例えば、最近の趣味はなんですかというレジャーについての質問をすると、結構な割合で「通勤時間に楽しむゲーム」とか「コンビニで買い物」などと回答される方が一定の勢力を占めていて涙が止まりません。お前ら、他に楽しみはないのかよ。自由回答欄に「レジャーに使えるお金も時間もないのです」「あと4年頑張れば、下の子が中学校に入るのでそれまでの辛抱」「小遣いを切り詰めて娘をピアノレッスンと英会話に行かせてあげるのが唯一の楽しみです」などと切ないコメントを寄せるお父さん方とは、なあ、俺たち何のために文明的な現代日本に生まれていま同時代を生きてるんだろうな、と肩を叩き合いたい気分になります。

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 また、女性においても結構心情は複雑です。これはお付き合いのある、とあるコンピュータソフト会社で調査した実例ですが、かなり女性の社会進出を応援している会社なので出産後の復職はほぼ100%なのに、その後平均4年ほど勤続すると退職してしまうという問題に直面していて困っている、という話が聞かれました。追跡調査をしてみると、どの女性も「時短で無理に働いて得られる収入はそれほど多くなく、結局学童保育代や習い事、ベビーシッターなどの支払いに消えるだけで何のために無理をして働いているのか分からなくなった」という回答をしてきます。実際、アンケート調査では奥さんが時短勤務で月額手取り17万円平均、これがベビーシッターや学童保育の費用の多い一群では公的な補助があっても月額22万円から25万円消えていく計算になります。子供が2人、3人といる家庭はもはや奥さんが働きに出るほうが損で、いま子供1人のご家庭は「2人めが欲しくてもコスト的に合わない」と考えてもおかしくないのは首肯できます。これらの「無理に働いても、子育ての費用と行って来いならばパートでもやりながら家庭にいたほうが精神的に安定する」という類の回答は深く考える必要のあるテーマになりつつあります。男女平等に参画できる社会を実現しようとすればするほど、男性にも女性にも経済的・心理的負担が強くなりすぎて、父親も母親も子供も誰も幸せにならないというオチになるんじゃないかという話です。