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沈むタイタニックの上で椅子を並べ替える作業」に意味はあるのか?

 子育てをする女性が働きやすい環境を作るというのは一般論としてはとても広く支持されます。「女性の社会進出は賛成ですか」と聞かれれば、私も賛成です。ところが、誰かに子供を預けるコスト以上の収入が得られなければ女性が社会に進出する意味はありません。単純に、保育や学童を担う業界が潤うだけであって、必要なことは「女性を働かせること」ではなくて、その家庭にあった子供との向き合い方の選択肢を増やすことじゃないかと思います。いまの日本社会で子供が3人ほしいとなれば、奥さんが正社員で働いても子供を預ける費用のほうが高くなってしまう以上、祖父母の力を借りられない核家族ほど子供が大きくなるまで専業主婦でいなければならないという選択になりますが、いまの日本社会の方向性ではそういう家庭は不利になります。逆に、シングルマザーでどうしても働きに出なければならない女性は母子揃って貧困に陥る可能性があります。そうであるならば、社会は夫婦に「お前ら両方働きに出て二馬力で踏ん張れ」と制度設計すると2人目から3人目を産もうという動機は失われ、自動的に少子化になっていくのです。

 高齢出産の女性ほど育児仕事の両立の無理を重ねられなくなって、3年か4年で擦り切れるように辞めざるを得なくなるのでは本末転倒です。女性の社会進出を助けたり、夫婦間の家事分担を促進するというような「沈むタイタニックの上で椅子を並べ替える作業」を推奨することにどんな意味があるのか、私には良く分かりません。最近では、自民党の代議士がよせばいいのに「4人以上子供を産んだ女性には厚労省が表彰するべき」といって物議を醸していますが、必要なのは控除ではなく直接子供のいる家庭への助成金額を積むことじゃないかと思います。

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子供を産むことが女性にとって罰ゲームにならないためには?

 夫婦間の家事分担においても、日本では諸外国に比べて女性の負担割合が多い社会に見えます。もちろん、出稼ぎ労働者をヘルパーさんとして家の中に入れる習慣がなく、女性が結婚相手として自分より高い年収を得る男性を極端に好む日本社会の特徴がある以上、そう簡単には変わらない側面はあるでしょう。ただ、コンセンサスとして女性に「輝け」という意味が「子供をたくさん産みましょう」とか「産んだ子供は誰かに預けてあなたは働きましょう」とか「スキルを磨きキャリアを積んで管理職になりましょう」などといった、役割を女性に押し付けるだけだと問題は解決しないんですよね。結婚して子供を産むことが女性にとって罰ゲームにならないようにしようとしたとき、結婚できず子供のいない男女は冷遇される社会になっていかざるを得ません。

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 平たい話が「子育てで苦労をしている男女」が優遇されるかわりに「結婚できず子育てもしていない男女」はその尻拭いをさせられる制度が今後も次々とできていき、一方、育児仕事の両立をしている男女はただただ人生が苦しく、誰にとっても良いことのない社会になってしまうという恐怖感があります。子育てってこんなに辛いものだったでしょうか。経済格差の拡大云々以前に、こういう見えない身分制度みたいなものを肌で感じる疲れ果てた勤労男女が直面するままならなさについて、いま一度立ち止まって考える必要があるんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか。

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