「 沈むタイタニックの上で椅子を並べ替える作業」に意味はあるのか?
子育てをする女性が働きやすい環境を作るというのは一般論として
高齢出産の女性ほど育児仕事の両立の無理を重ねられなくなって、
子供を産むことが女性にとって罰ゲームにならないためには?
夫婦間の家事分担においても、日本では諸外国に比べて女性の負担割合が多い社会に見えます。もちろん、出稼ぎ労働者をヘルパーさんとして家の中に入れる習慣がなく、女性が結婚相手として自分より高い年収を得る男性を極端に好む日本社会の特徴がある以上、そう簡単には変わらない側面はあるでしょう。ただ、コンセンサスとして女性に「輝け」という意味が「子供をたくさん産みましょう」とか「産んだ子供は誰かに預けてあなたは働きましょう」とか「スキルを磨きキャリアを積んで管理職になりましょう」などといった、役割を女性に押し付けるだけだと問題は解決しないんですよね。結婚して子供を産むことが女性にとって罰ゲームにならないようにしようとしたとき、結婚できず子供のいない男女は冷遇される社会になっていかざるを
平たい話が「子育てで苦労をしている男女」が優遇されるかわりに「結婚できず子育てもしていない男女」はその尻拭いをさせられる制度が今後も次々とできていき、一方、育児仕事の両立をしている男女はただただ人生が苦しく、誰にとっても良いことのない社会になってしまうという恐怖感があります。子育てってこんなに辛いものだったでしょうか。経済格差の拡大云々以前に、こういう見えない身分制度みたいなものを肌で感じる疲れ果てた勤労男女が直面するままならなさについて、いま一度立ち止まって考える必要があるんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか。