経済力がある場合、学習塾や予備校に通って対策をするのはなぜか
中学受験から大学受験まで、結局は、公教育で学んだ内容だけでは合格は覚束ないので、能力のある子どもや、そういう子どもを支えられる経済力のある家庭の子は、みな学習塾や予備校に通って試験対策をするのはなぜかということを、よく考えなければなりません。
私のころもそうでしたが、30年以上にわたって、我が国の公教育は事実上、塾や予備校や教育ベンダーの下請けで、勉強のできない子どもに学級運営の目線を合わせ、学校生活を通じて協調性を養うという名目のもとに家庭の子守りを代行している面もあります。できる子は必要な勉強は塾でやるので学校の授業中は寝ていて、できない子は必死に勉強しても学習指導要領についていくこともやっとで、教育の現場を支える教師がブラック環境に耐えながらも必死で学んでもらおうと頑張っている。その結果が、国際比較でもなかなか上位のPISAスコアであるというだけではないかと思うんですよね。
学校のICT化は「何のためなのか」を考えるべき
本来、子どもの教育と児童福祉とは、概念が異なるので切り離されているべきだとは思うのですが、かねて、我が国の公教育というものは親が本来やるべき子どもの躾から、学校のある地域の風紀・治安維持まで、担うべき機能が広すぎるのです。地域住民も、見慣れた制服の子どもたちが電車でダラダラしていたり、コンビニ駐車場でたむろしていると、学校に苦情を入れて対処を求めようとする。学校も「うちの子が、だらしない」となってしまうから校則がどんどん厳しくなるし、協調性があり行儀が良いことが学校の目的の大前提になるのであれば、そういう学校から卒業したときに何が起きるのかは自明です。
学校がICT化するというのは必要なことであるし、タブレットやPCが1人1台配られて、コロナでも学びを止めない方針に文部科学省がシフトしたのは英断であったのは間違いありません。一方で、道具が配られたけどその道具で何をするのかハッキリしないまま、どんどん学校に民間企業のサービスが入り、誰が承認したのかよくわからない利用規約が合意されたことになり、自治体も学校から出る教育データを各分野で使い放題だと勘違いをしてしまうのだとすれば、何のためのICT化なのかよくわかりません。
教育データを利活用すること自体は大賛成なので、不必要なデータをなるだけ取らない、無関係なデータを使った分析で子どもが差別されることのない、そういう方針が打ち立てられることを、心の底から祈っています。
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