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「ここで倒幕の密議が…」神社の地下に眠る《ナゾの洞窟》の正体とは? 700年前の“鎌倉ミステリー”を追ってみた

洞窟夏祭り #2

2022/03/27

genre : ライフ, 社会, 歴史

note

新たな古文書が発見された!

 それにしても、600年以上前の話なのに、口頭伝承としては非常に具体的で、しかも歴史的に符合する部分も多い。ますます看板に書かれたことが事実であるかどうか、気になってきた。

 するとある朝、林議員から電話がかかってきた。岐阜県多治見市にある長福寺から、鎌倉時代の古文書が新たに見つかったという。手がかりになるかもしれないと、教えてくれたのだ。

夏祭りが行われていた方の坑道。現在も中には鳥居が残されている

 私は早速、多治見市の文化財保護センターに問い合わせたところ、丁寧に追加調査をした上でお返事をいただいた。

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 長福寺から見つかった古文書は14世紀初頭の資料と推定され、後醍醐天皇の討幕計画に加わった人物についての記載があった。正中の変において、土岐十郎が多治見国長とともに後醍醐天皇の討幕計画に加わった可能性が示されていた。しかし、長福寺文書は正安3年(1301)ごろの資料で、正中の変は正中元年(1324)なので20年ほどのタイムラグがあり、断定はできないとのことだった。

1枚の看板から始まった“歴史ロマン”

 密議の場所に関する記載はなかったが、あの看板の信ぴょう性が僅かながら高まったのではないかと思う。

 また、あの看板の後半部分には、神社の由来が記されていた。東海地方で“千代保稲荷神社”といえば、毎月月末に終夜でお祭りが行われる、岐阜県海津市の千代保稲荷神社が有名だ。“おちょぼさん”の愛称で知られ、月末は平日の深夜であっても非常に多くの人で賑わい、年間200万人以上が訪れる。1日に数人が訪れるかどうかという天ヶ峯おちょぼ稲荷神社とは対照的だ。

 しかし、あの看板は、東海地方における千代保稲荷神社のルーツは、海津市の千代保稲荷神社ではなく、可児市の天ヶ峯おちょぼ稲荷神社である可能性を示している。

 結局、討幕の密議も、千代保稲荷神社のルーツも、正解は分からない。歴史に絶対はないが、今後、100年後や200年後に新たな古文書が見つかり、謎が解き明かされる日が来るかもしれない。歴史ははっきりしないからこそ面白く、ロマンがある。また、謎が解けてゆく過程はとても爽快だ。

 探索中にたまたま目にした1枚の看板から、歴史ロマンの一端を垣間見た気がした。

 

撮影=鹿取茂雄

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

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