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『東京2020オリンピック SIDE:A』における「私」と「私たち」

『東京2020オリンピック SIDE:A』では、何人かの競技選手に焦点が絞られ、彼らの置かれた環境、裡にかかえる迷いや悩み、五輪に出場することの意味などがとらえられている。

 なかでも来日するにあたり、幼いわが子を同行させる権利を主張したバスケットボール女子カナダチーム代表のキム・ゴーシェ選手と妊娠出産を経て五輪出場を断念し、現役引退を宣言した元日本代表チームの大崎佑圭選手らに密着した一連のシークエンスには、自身も出産や子育てと映画製作を並行しておこなってきた身であり、かつてバスケットボール少女でもあった河瀨の思いがにじみ出ているように感じられる。つまり、ここには選手である「私」とそれをまなざす「私」がはっきりと存在しているのだ。

 その合間を埋めるのは、「美しき日本」シリーズと同様の——まさしく四方田犬彦が指摘したところのツーリスティックなノスタルジアに彩られた——諸所のインサートカット(外苑の水面に散る桜、木洩れ日、戯れる子どもたちなど)、つまり「私」を取り巻く美しい世界の断片である。

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 しかし、ここには決定的な他者の存在が欠落してはいないだろうか。

完成披露試写会 ©️文藝春秋

 前述したNHKのドキュメント番組で、河瀨はつぎのように語っている。

「日本に国際社会からオリンピックを7年前に招致したのは私たちです。そしてそれを喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはずだ。これは今の日本の問題でもある。だからあなたも私も問われる話。私はそういうふうに描く」

 この発言を受けて、とくに今回の五輪開催に反対の意を表明していたひとびとからは、大きな批判の声が沸き起こった。「オリンピックを7年前に招致したのは私たち」と言うが、日本国民のなかには当初から五輪招致に反対していたひとが大勢いたはずである。まして今回の東京大会招致に至る過程では、福島第一原発の汚染水の状況について安倍晋三元首相が語った「アンダーコントロール」ということばに象徴される欺瞞的言動が多々見られた。開催が決まってからも、新国立競技場をめぐるゴタゴタや森喜朗元組織委員会会長の女性蔑視発言など、「ここ数年の状況をみんなは喜んだ」とはとても言いがたい出来事が相次いでいた。

東京五輪 河瀬直美と五輪組織委の森喜朗、武藤敏郎 ©️共同通信社

『SIDE:A』では、五輪反対を叫ぶ一般市民の姿も映し出されるが、この映画において、彼らはどこまでも彼岸の群衆でしかない。そこに「私」はいない。では、「私たち」とはいったいだれのことを指しているのか。

 そんなことを思いつつ、エンドクレジットを眺めていると、藤井風の主題歌「The sun and the moon」の歌詞に虚を突かれた。そこにはまさしく「私たち」の問題が示されていたからだ。

 第2部となる『SIDE:B』において、河瀨は、「私」と「私たち」をめぐるこの乖離を乗り越えることができるのだろうか。筆者は見とどけるつもりでいる。

河瀨直美(かわせ・なおみ)●映画監督。奈良市生まれ。大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)卒業。1997年、映画『萌の朱雀』で長編監督デビュー。同作が、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを史上最年少で受賞。2007年、映画『殯の森』で、第60回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。13年、『カンヌ国際映画祭長編コンペティション部門』の審査委員に就任。15年、フランス芸術文化勲章“シュヴァリエ”を受章。