「私」と「私」を取り巻く世界に対する執着
「私」と「私」を取り巻く世界に対する河瀨の執着は、文字通りじぶんが暮らす土地、あるいは国とのかかわりを描くことにも向けられる。
『沙羅双樹』(2003年)や『殯の森』など故郷奈良を舞台とした作品が代表的だが、より直接的な例として、2010年から始まった「美しき日本」シリーズが挙げられる。このシリーズは、奈良や宮崎の自然・風土をとらえた映像詩で、実際に日本各地の自治体と連携したプロモーションとしての性格をもつ。
ここで思い起こされるのが、河瀨直美と同時期に映画界で頭角を現し、やはり海外での評価を足がかりにキャリアを築いてきた是枝裕和の存在だ。
『萌の朱雀』の脚本執筆に際しても助言をおこなった是枝は、1996年に河瀨との「映像による往復書簡」という触れ込みの短篇『現(うつ)しよ』を共作している。この作品では、両者ともに身の回りの物質や風景を8ミリキャメラで撮影し、そこに自身の心象を語ることばをかぶせているが、映像にもことばにも決然と迷いのない河瀨に対して、是枝のそれはつねに迷い、揺れ動いている。のちに是枝は「河瀨さんが、『私はこういうふうに世界を愛している』と伝えようとしていたのに対して、『僕はそういうかたちでは世界を愛せていない』って送り返している」(「河瀬直美ドキュメンタリーDVD-BOX」ブックレット所収の対談)と語っているが、これはそのまま現在の二人の作風のちがいにもつながっているように思う。
というのも、是枝の作品の根底に「世界を美しく切り取る」ことへの懐疑の念がつねに横たわっているのに対して、河瀨にとっては、「私」を取り巻く世界の「美しさ」を自身のまなざしをとおして切り取ることこそが映画を撮ること、つまりいまここに生きている意味そのものだからだ。
四方田犬彦は、この河瀨の性質を1999年の時点でいち早く言語化している。
〈みずからの物語の起源にして中核にある映像の欠落から出発した彼女の探求は、ファミリーロマンスに出発し、自伝的な格闘を経過したのちに、アニミスティックな世界観の樹立へと向かおうとしている。それが定住者の教義に陥って、ツーリスティックなノスタルジアへと風化してしまうか、それとも新たに歴史という問題を抱え込むかは、今後彼女に与えられた課題であろう〉(『日本映画のラディカルな意志』岩波書店)
そしていま、河瀨は、まさしくこのかんの「歴史という問題を抱え込」まざるをえない題材、東京オリンピックの記録に挑んだ。