――2人の自分の間で揺れ動いたという話ですが、それが「これは戦争になるんじゃないか」と傾いた瞬間はありましたか?
小泉 2月の頭ぐらいに国境付近のロシア軍が基地から出始めて、完全に野外展開して攻撃準備態勢に入ったあたりからです。あの辺はやばいなと思いました。あと、輸血体制を拡充している話が流れてきて、これも演習ではありえないなと。
もう1個は、去年の秋ぐらいにロシアが国家規格で遺体の緊急埋葬手順を改訂してて、その発効が2月だったんです。2月に大量の遺体が出るような何かをやるのか、という観測もあって、一応テイクノートと思ってメルマガに書いたんですけど、結果的にドンピシャだったんですよね。
ただ、直前にプーチンがドイツのショルツ首相とかと会ったりして、最後にもう一回外交に戻るのかなと、ちょっと揺らぎました。これは第2次ミンスク合意を飲ませるための壮大なブラフだったのかと思って、まあ外したけどよかったなと思っていたら、21日にドネツク・ルガンスク独立承認で、ああもうダメだと。
8年前の失敗とその後の影響
――今回、先生はロシアの侵攻の可能性を排除されてなかったわけですけど、著書『軍事大国ロシア』(作品社)の中で、2014年2月に某官庁でロシアの軍事介入の可能性を聞かれて、「限りなく低い」と答えたが、その数日後にクリミア危機が起きた失敗談を書かれていますね。その事件が専門家のロシア観を一変させたとありますが、この失敗がその後の先生のロシア観や分析に与えた影響はどのようなものですか?
小泉 2014年のクリミア介入とその後のドンバス介入は、私のロシア観を大変揺さぶった部分がありました。ロシアには平時モードと有事モードがあって、ロシアも普段から暴れているわけではないんです。だから、普段はロシアと普通に通商もできるし、学術交流もできるし、観光に行ったっていい。
そういう普通に付き合えるロシアと、「我々の中核的な価値が脅かされている」と考える時のロシア人のスイッチの入り方って違うんです。そのスイッチが入ったロシアは、限りなくソ連のようなことをやる。軍事力を使うことも躊躇わないし、人命を軽視するようなことをやるのを、「やっぱりこういう時にはやるのか」と、僕が初めて実地に見た感じです。
ソ連時代からウオッチしてる人たちにとっては、「そういうことやるんだよ。こいつらは」って感じかもしれないけど、私は大学院出たのが2007年で、そこからロシアに関して書き始めたので、ロシアの戦争を職業的にウオッチしたのは、2008年のグルジア戦争が最初なんです。グルジアが先に撃ったんで、あれはロシアもグルジアと挑発しあってたから、どっちもどっちと思ったし、今も僕はそう思ってるんですけど、2014年は何の落ち度もないウクライナにいきなり侵攻したわけです。
政変で反ロシア政権ができると困るからみたいな理由で介入してくる。21世紀にまだこんなことやるんだと見せつけられたし、ずっと平時モードの論理でロシアを論じることの限界を感じたんです。
どこかで、有事モードに入ったロシアみたいな視点を持っておかなければいけない。クリミアのときも今回と似ていて、多くのロシア専門家はそこまでやらないと思ってたんです。あの時、警鐘を鳴らしていた人たちに対して「冷戦時代みたいなことを言ってるな」という気持ちが正直あったんです。
ところが、実際に起きると、あの人たちは正しかった。こういう場面では全然違う論理で考えなきゃいけないんだと痛感したのは、今回の事態においても頭の中にありました。2014年以降、ロシア全体が軽く戦時モードにあった感じがします。