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世界で進み、日本で進まなかったもの

 2000年代の国際社会で、最もよく用いられたジェンダー関連キーワードに「ジェンダー主流化(メインストリーミング)」がある。

 「ジェンダー平等」という理念を実現していくための方法として、1990年代から使われるようになった言葉だ。ちょうど現代の「ダイバーシティ」や「SDGs」に相当するようなものと考えてもらうといい。「SDGs(持続可能な開発目標)」とは2015年の国連サミットで採択された“グローバル社会が目指していくべき17の目標と169のターゲット”のことだが、それを達成するための「方法」として「ダイバーシティ」が重視されているように、SDGsの前身「MDGs(ミレニアム開発目標)」を達成するための重要な方法の一つとして「ジェンダー主流化」があった。

 ジェンダー主流化とは、「ジェンダー視点の主流化」という意味で、国連から国、地方自治体までのあらゆるレベルにおける、法律および政策の立案・実施・評価のさいに、ジェンダー視点を導入する必要があるという考えを指す。法律や政策は、社会の根幹を再編成したり新たに作り出したりするものだ。ここにジェンダー視点を持ち込むことを重視するのが「ジェンダー主流化」である。

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 女性政治家の少なさや、行政機関における女性管理職の少なさが社会的課題として人々に意識され、実際にそれを改善するための取り組みが強力に進められていったのは、このような1990年代中盤から始まる「ジェンダー主流化」の潮流のなかにおいてであった。

ドイツで16年にわたって首相を務めたメルケル氏 ©時事通信社

 それに対して、残念ながら2000年代の日本で「ジェンダー主流化」という言葉はほとんど広がらなかった。

「ジェンダー」に関する言葉で、当時最もよく社会的に知られていたのは「ジェンダーフリー」もしくは「ジェンダーフリー・バッシング」であろう。ジェンダフリーとはもともと「性差別をなくす」という意味だが、保守派は「フェミニストが性別を“なくす”」ために、社会に広げようとしている「悪しき言葉」と曲解し、「ジェンダーフリー」という言葉を叩くことでフェミニズム批判を繰り広げた。

 このように「ジェンダーフリー」バッシングを行うことで言論空間を席巻し、政治を取り巻く「空気」を作り出していったことで、萎縮した自治体の行政および立法の場からは、文字通り「ジェンダー」という言葉が消されていった。自治体が文書で「ジェンダー」という言葉を使うことを避けるようになったのだ(『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』2006、双風舎)。

 欧米では「ジェンダー主流化」によって立法および行政のあらゆる場面にジェンダー視点を導入するという制度化を進めていったのに対し、2000年代の日本は真逆のことが起こった。ジェンダー・バックラッシュによって、2000年代の日本のジェンダー平等の進展はゼロもしくはマイナスとなり、2010年代はそこからのスタートを切らざるをえなかった。その影響が、いま出ている。