――サバイバルのための発酵茶とは、お茶のイメージが変わりますね。
小倉 日本では裏千家の影響で、嗜好品としての茶道のお茶が着目されてきましたが、実は昔から続く「養生としてのお茶」もあります。奄美大島で飲まれていた薬草茶や、糸魚川流域で飲まれているバタバタ茶など、日本各地の小さな集落には体の調子を整えるために飲む発酵茶がありました。
僕は日本にあるほぼ全ての発酵茶の現場に行っているんですが、たいてい山の中の僻地でつくられている。そういう意味でサバイバル茶は日本にも中国大陸にも色濃く残っています。
ナチュラル「減圧蒸留」で梨のジュースのようなお酒に
――雲南省の食文化でとりわけ印象深かったのは何ですか。
小倉 リス族の白酒(パイチュウ)ですね。少数民族の集落に行くと、お母さんの3人に1人は焼酎を手づくりしています。その地で採れる穀物を麹にして、もろみをつくり、手づくりの釜で蒸留して。そんなプリミティブな「かぶと釜蒸留器」は、先にお話しした鹿児島の芋焼酎のメーカーさんの古い蒸留器とそっくりでした!
ちなみに、蒸留するとき気圧によってお酒の味は全く変わります。似たような蒸留法でも、九州で普通の気圧でつくると味がけっこうどっしり出ます。ところがリス族の住む標高3000mくらいの高地では、ナチュラルに「減圧蒸留」になるんで、とても香りが良くて軽やかな、梨のジュースのような味になるんですね。
各少数民族では、日本では絶対使わなそうな原料――コーリャン、トウモロコシ、赤米などを自由に使っていて、麹のつくり方なども異なり、味の多様性が本当に豊かでしたね。
ナシ族の古都で、江戸風「飲む味醂」を発見!
――日本の味醂とそっくりのお酒も発見されたそうですね?
小倉 トンパ文字で有名なナシ族の“味醂”は、本当に偶然見つけたんです。麹に焼酎を漬け込んでいくと、麹の糖分を作る作用だけが進んでいき、どんどん甘みが溜まって、最終的にはメロンみたいな甘い焼酎ができます。この原理、実は味醂と同じなんですね。
500年以上も前からナシ族の都リージャンというところでお酒としてつくられていたわけですが、実は日本も江戸時代には、味醂はお酒として飲まれていました。味醂に焼酎をブレンドしたものを柳陰(やなぎかげ)といいますが、まさか雲南の端っこでほぼ同じ原理のものを見つけるとは思いもよらず、興奮しましたね。
日本では江戸時代末期からサトウキビが栽培できるようになったので、食べ物が全体的に甘くなっていき、酒が辛くなりました。逆に標高の高いナシ族の地はサトウキビ栽培ができないので食べ物が辛く、軽やかな甘いお酒のほうが相性がいいというわけです。