微生物がアナーキーな働きをする発酵の醍醐味
――地域ごとにさまざまな工夫を凝らしていて面白いですね。
小倉 食材が限られていて自由に選べない環境下ほど、やり方を工夫するしかないんですね。発酵は微生物という目に見えない自然が「予想もつかない」アナーキーな働きをします。人間の知恵のバリエーションが詰まっているし、そこで想像以上のものが生まれてくるのが、発酵食の醍醐味です。
例えば、インドの東の果てマニプル州には、ロックタックという湖で捕れる魚を地中のカメの中にびっしり詰めて発酵させた「ナリ」という不思議な調味料がある。いわば滋賀のフナのなれずしとよく似た味の食べ物ですが、メイテイ族のつくるナリのうま味とスパイスの融合した“インド版なれずしカレー”を食べたときは、心底衝撃を受けました。
これまで世界中の発酵食を食べてきたので、ユーラシア大陸に関してもう自分が驚くような発酵食品は出てこないと思ってたのですが、これはもうわけのわからない食べ物です。
しかも、マニプルでは「塩と米を使わずに」魚を嫌気発酵させてつくっている。インドのような暑い気候だとすぐ腐りそうなものですが、ロックタックで捕れるパバウという魚に限っては腐らずに発酵させることができるんです。マニプルのような内陸の地では塩がものすごく貴重ですから、発酵させるときも塩を使わない工夫がされていました。
――環境の必然性が生んだ食の知恵ですね。
小倉 これと似た発想で、長野県の御嶽山に「すんき漬」というものがあります。海から果てしなく遠くて塩が不足しているから、塩を入れずに発酵させた独特の漬物です。
ある意味、発酵には「持たざる者」のアイデアが詰まっています。塩のような普通あって当然なものがない厳しい環境下で、一発逆転を狙って出してくる「持たざる者のクリエイティブ」が発酵というアプローチにはあると思います。
内戦中のマニプルで、アジア最古の糀文化を守り続けていた村に――
――折しもいまインドのマニプルは内戦中ですが、よく現地取材ができましたね。
小倉 今回の旅の締めくくりは、古代の米の糀の源流をたどってマニプル州に行くことでした。予定していたフライトの10日ほど前に、突然クキ族とメイテイ族の民族紛争が勃発しました。ただ、州政府がすぐインターネットを遮断してしまったので、その時点ではまだインド国内の現地の人たちも詳細がよく分かっていませんでした。
情報があまりない混乱状態のさなか、現地ガイドのサポートのおかげでひょいと入れて、内戦地帯でありながらたまたま数日間大きな戦いがない時に運良く旅ができたんです。メイテイ族のアモさんという方がずっと付き添ってくれたのですが、紛争地とのボーダーラインでは、「お前こっち側に来たら殺すぞ」と銃を突きつけられたり、わずか数時間違いで、さっきまでいた市場が焼き討ちで燃やされたり、という危険はありました。
マニプル州はヒンドゥー文化だけでなく、様々な宗教が混淆しているエリアで、食はスパイス文化と発酵文化がハイブリッドに入り交じる非常に面白い場所でした。食べ物は辛くもなく、脂っぽくもなく、香辛料の香りと発酵のうま味で味を支えていて、東西の合流地点としての独特の世界観がありました。
そんな地で奇跡的に、アジア最古の糀文化を守り続けていた糀村に行きついたんです。