2012年、健さんの最後の出演作『あなたへ』のロケが北九州の門司港であったとき、エキストラの一般公募に申し込んで、わたしもちょっとだけ出演させてもらっています。
撮影後にご挨拶したところ、「自分の映画を上演していただき、ありがとうございます」と握手をしてくれたのです。
うれしくて、手紙を書きました。握手のお礼と、「昭和館を継続させるかどうか、迷っています」と正直に打ち明けました。
思いがけず、返事をいただきました。健さんからの手紙は、速達で届きました。
「熱い想いのこもったお手紙、拝読させていただきました」
と書いてあります。一文字ずつ、かみしめるように読みました。
「スクラップ・アンド・ビルドは世の常」の言葉に励まされて
「映画館閉鎖のニュースは、数年前から頻繁に耳にするようになりました。日々進歩する技術、そして人々の嗜好の変化、どんな業界でもスクラップ・アンド・ビルドは世の常。その活性が進歩をうながすのだと思います」
甘い言葉はありませんが、映画館経営を励ましてくれました。「スクラップ」と「ビルド」は切っても切れない関係にあること。たとえ壊れたとしても、そこから生まれてくるものがあること。健さんの手紙は宝物でした。
「夢を見ているだけではどうにもならない現実問題。どうぞ、日々生かされている感謝を忘れずに、自分に噓のない充実した時間を過ごされて下さい。ご健闘を祈念しております」
感激しました。わたしは三代目館主として、昭和館を守ろうと決意しました。あの手紙に、わたしは救われたのです。どこかにあるはずだ。ほんの切れ端でもいい。どこかにあってほしいと祈りながら…。
見つかりませんでした。ファンの方々に申し訳ない。健さんに申し訳ない。
35ミリの映写機は出てきました。巨大な鉄の残骸になってしまいましたが、これがあったから、健さんの映画も上演できたのです。
閉館を決断することもできない
瓦礫の近くに立っていると、まちの人たちが声をかけてくださいます。涙ながらに、一緒に悲しんでくださいます。
休館か、閉館か。心は揺れました。再建は無理だろうと思うのですが、閉館を決断することもできない。
まちの人たちが昭和館を必要としてくれるのであれば、わたしにできることを考えたい。それしか考えられませんでした。