70針を縫う大けがと後遺症
筆者もそれなりにハンターの取材はしてきたが、クマの腸を引き抜いた、という話は初めて聞いたので、この記事を最初に読んだときの衝撃は覚えている。山田さん自身は、記事の中で「あの事故の原因は自分の油断。仕留めた確証がないまま、ササやぶに入るべきではなかった」と語っているが、私には“半矢(手負い)のクマは確実に仕留めろ”という猟師の不文律に従っての行動だったようにも見える。
結局、山田さんは頭と両腕、顎などを70針縫い、顎の感覚は今も鈍く、ろれつが回りづらくなるなど後遺症が残った。尹が驚いたのは、その後の山田さんの行動だ。
「事故から2カ月後には現場に復帰しているんです。記事ではそこまで詳しくは書きませんでしたが、やっぱり現場に向かうときは今でも恐怖心があると仰っていました。それでも駆除の現場に立ち続けるのは、自分がやらねばという使命感からだと思うんです」
「撃ちたくて撃っているわけではない」
近年、クマが駆除されたというニュースが流れるたびに、その判断を下した自治体やハンターの所属する猟友会に対して“クマを殺すのは可哀想”といった抗議の電話が殺到するというが、ハンターの取材を続けてきた尹はこう語る。
「クマの駆除をするハンターは、みんなクマを撃ちたくて撃っているわけではなくて、山田さんのように、まさに使命感からやっている人が多いのではないでしょうか。そういうハンターの方たちの葛藤とか苦労は、あまり世間の人たちに認知されていないな、と感じたことがハンターの取材を始めたきっかけでもあるんです」
クマの生息数は激増しているのに、それを駆除できるハンターは激減している――これは近年のクマ問題を論じるうえでの大前提である。1990年度に5200頭だったヒグマの推定生息数は、2020年度には1万1700頭と30年で倍増している。一方で、北海道の猟友会の会員数はピーク時の1978年度には1万9699人いたが、2022年度には5361人と約4分の1にまで減少している。なぜハンターは激減してしまったのか。
「猟友会などに取材すると、以前に比べてヒグマを獲ることの経済的なメリットが少なくなったという声をよく聞きますね」
1990年まで北海道はヒグマの生息数を抑えるために、「春グマ駆除」(駆除が容易な残雪期にクマを捕獲することで、ヒグマの生息数を抑える政策)を奨励していた。
ヒグマを獲れば行政からそれなりの報奨金が支払われ、また当時はヒグマの毛皮や漢方薬として珍重される胆のう(熊の肝)も高く売れたので、ハンターにすれば、1頭ヒグマを獲れば、数十万円単位の利益が出た。だからヒグマの反撃で命を落とすリスクを冒してでも、クマを獲る人たちがいた。
結果的にそれが乱獲へと繋がり、一時はヒグマが絶滅しかけたため、北海道は「春グマ駆除」を廃止し、保護政策へと方針を180度転換したという経緯がある。