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「セクシー田中さん」にはなく、実写化成功作品にはあった“当然の要素” 「正直なところ、脚本の段階では面白いと思えなかったんだけど…」

「セクシー田中さん」にはなく、実写化成功作品にはあった“当然の要素” 「正直なところ、脚本の段階では面白いと思えなかったんだけど…」

2024/02/15
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 果たして『悪魔くん』は人気番組になり、のちの『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメ化にもつながっていく。もしあのとき、平山プロデューサーが『悪魔くん』に惚れ込まず、または水木がその平山の熱意に打たれなければ……、現在大ヒットしている『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』や、ネトフリの『悪魔くん』もなかったかもしれない。この辺りは2007年にNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』でドラマ化されている。

「悪魔くん」公式Xより

 水木も平山Pを“漫画家として食べさせてくれるようにしてくれた恩人”と平山に敬意を持ち、2人の関係は生涯続いた。筆者はお2人が話す場面に何度か居合わせたことがあるが、やはり互いに深いリスペクトを感じた。

実写の映像化で問題やトラブルが生じるケースでは…

 2つのケースに共通しているのは、映像化するスタッフサイドが“原作愛”を持ち、それが原作者に伝わっているかどうか、だろう。何も原作のすべてを知り尽くしたマニアになる必要はなく、原作の本質や魅力をきちんと理解し、根本的にその原作のファンになれるかどうか、という意味だ。

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シン・ゴジラ

 原作を正しく理解すること=原作者を理解することであり、その愛が伝われば水木のように原作者サイドから映像というメディアの特性に合わせて改変の提案がなされることさえある。ここ数年、邦画界を席巻してきた庵野秀明、樋口真嗣両監督による『シン』シリーズなども、作り手が元作品を誰よりも好きなことが画面から伝わってくるという点については異論がないだろう。

 逆に実写の映像化で問題やトラブルが生じるケースでは、映像化サイドに原作愛がなかったり、監督やプロデューサー本人は原作の大ファンでもそれが伝わっていなかったり、またはそれを阻む要因があったりすることがほとんどだ。もちろんそれだけが理由のすべてではないが、不幸な事態を二度と起こさないためにも原作愛があり、それが十分に発揮される現場が増えることを望みたい。

「セクシー田中さん」にはなく、実写化成功作品にはあった“当然の要素” 「正直なところ、脚本の段階では面白いと思えなかったんだけど…」

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