東京拘置所では、どの収容者も色鉛筆を購入することができる。
長い懲役生活で蓄積された自己理解や鬱憤を創作活動に充てる囚人は、案外多いのだ。描かれた絵は、展示会などに出展されることもあった。
そしてその色鉛筆に使用する鉛筆削りもまた、購入可能品のうちのひとつだった。手動タイプの小さなもので、文房具店などで見かける色鉛筆セットに付属しているものを想像してもらえるといいだろう。
矢野が自殺に用いたのは、この小さな鉛筆削りだった。正確には、鉛筆削りに付いている小さな刃物だ。どうやってネジを緩めたのかはわからないが、分解した鉛筆削りから刃物だけを取り出し、自らの首を掻き切ったのである。
施設内で毎日同じような生活を送っていると、日常の小さな変化にもよく気づくようになってくる。当たり前のように使用が許可され、誰もその危険性を疑うことのなかった鉛筆削り――その鉛筆削りの内側にきらりと光る鋭い刃物は、矢野にとって天からの救いに見えていたのだろうか。
色鉛筆・鉛筆削りの使用が禁止に…
この事件が起きて以降、日本の矯正施設・収容所でガラが鉛筆削りを使うことは禁止された。購入すること自体はできるが、使用する際は職員に鉛筆を渡し、舎房の外で削ってもらうことが義務付けられるようになったのだ。
さらに2022年10月には法務省によって訓令が改正され、死刑囚は自室での色鉛筆および鉛筆削りを使用することが正式に禁止された。削ることはおろか、色鉛筆を使うことさえ禁止されてしまったのだ。
この改正を受け、福岡拘置所に収容されている奥本章寛死刑囚は「色鉛筆の使用禁止は、表現の自由の侵害に当たる」として法務省訓令の取り消しを求める裁判を起こした。裁判は東京地裁で執り行われたが、2023年5月に訴えは棄却された。
理髪を担当することはなかったが、現役時代の矢野についての“伝説”はよく耳にしていた。どれも耳を疑うような、残忍なエピソードばかりだ。
敵の多かった矢野の死に対する周囲の反応は、冷ややかなものだった。
「東拘にとってはデカい責任問題だな」
「こりゃ締め付けが厳しくなるぞ」
矢野の自死を受け、収容者たちは方々で虚実入り混じる憶測を立てまくった。ひとりの命が失われたことよりも、どちらかと言えば自分たちに今後降りかかるであろう災難を憂いているという感じだった。
正直言って私も最初は同じ気持ちだったが、発生から少しずつ時間が経っていくにつれ、この事件は私が死刑制度そのものについてや、囚人の管理体制について考えるきっかけとなっていった。
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