ミラノ大聖堂とコルシア書店
日本にいるとキリスト教会の存在をありありと感じる機会は多くない。だが、ミラノでそうした生活をするのはむずかしい。この街は、地理的にもミラノ大聖堂を核としている事実が象徴しているように教会とは不可分な関係にある。
大聖堂が象徴するのは万物の根源である神だ。だが、あまりに荘厳な姿をした大聖堂は、多くの人を惹きつけるが、ある人たちには近寄りがたく感じる。そんな「ある人」たちがコルシア書店に足を運んだ。
この書店は、ミラノ大聖堂からもほど近いところにひっそりと建っている。あの壮麗な大聖堂とは似ても似つかないほどに質素な装いで、大聖堂へと通じる、賑やかな通りから少し下がったところにある。
人生とは何か、神とは何かを大きな声で語り、求めるのではなく、声というよりはうめきによって自分と他者、あるいは神との関係をつむぎ直そうとする人たちが、自然と集まってくる、そんな場所なのである。
夫ペッピーノと結婚した日のできごと
実を見て木を知るという喩えもあるように、集った人たちが、書店の精神を体現しているということもできるだろう。『地図のない道』には、書店で出会い結婚した二人が新婚旅行に出かける場面が描かれている。
……ふたりは結婚したが、お金がないので新婚旅行はちょうどそのころミラノで開通したばかりの地下鉄に、都心のドゥオモ駅からサン・シーロの終点まで乗るんだといって、みなを笑わせた。笑われたふたりは、しかし、まったく本気で、書店のとなりのサン・カルロ教会で式をあげたあと、小さな花束を手に、めずらしくスーツなど着こんだルチッラと、慣れないネクタイを不器用にむすんだマッテオがしゃんと直立して、ではこれから行ってきます、と書店の入口のところで宣言すると、みなの胸がちょっとあつくなった。
『須賀敦子全集 第3巻』(河出文庫)より
「ドゥオモ」とは大聖堂のことで、書店近くの駅から終点まで、数十分の道行き、それが二人にとっての忘れがたい旅だった。
人は、こうした場面に意図して立つことはできない。これを実現しているのは、語られざる信頼である。貧しいながらも真摯に自分たちの人生を祝福しようとする者たちをけっして笑わない。むしろ、そこに畏敬すら感じる人間観を持った者たちの短くないつながりの歴史が、先のような出来事を生む。