「その後、事態は思わぬ方向へと展開していく」――2019年、北海道で起きたヒグマによる牛の連続殺傷事件。令和の時代、クマが牛を食べるために襲うことは稀にもかかわらず、その後も牛を襲う事件が多発した理由とは……。「怪物ヒグマ」と呼ばれたOSO18と人間との戦いを描いたノンフィクション『OSO18を追え “怪物ヒグマ”との闘い560日』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

熊は牛を襲わないはずなのに…北海道で起きた「異常事態」とは? 写真はイメージ ©getty

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ヒグマによる牛の連続殺傷事件

〈クマに襲われ乳牛死ぬ〉

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 令和の日本を震撼させた大騒動は、こんな見出しの「ベタ記事」から始まった。2019年7月17日付の北海道新聞朝刊に掲載されたこの記事の全文は以下の通りだ。

〈【標茶】16日午後3時半ごろ、釧路管内標茶町オソツベツの牧場で、放牧中の乳牛1頭がクマに襲われているのを牧場の男性従業員が見つけた。同町によると、クマが乳牛1頭を引きずっているのを従業員が目撃。クマは従業員に気づき山の方向へ逃げた。襲われた牛は腹を裂かれた状態で死んでいた。現場は同町中心部から約8キロ離れた山中にある牧草地〉

 ヒグマは雑食性であるが、基本的に口にするのは草木類や木の実といった植物性のものが8割から9割を占め、あとはアリなどの昆虫や鮭などである。肉を食べるのは、たまたまエゾシカなどの死体を見つけたときぐらいだ。そのクマが牛を襲って食べたのだとすれば、レアケースではある。

 かといって、文字数にしてわずか160字程度のこの記事を最初に読んだとき、私がヒグマの専門家として“異変”を感じたかといえば、実はそうでもなかった。

 牛がヒグマに襲われること自体は、私の住んでいる町でも起きているし、対応も経験している。道内の他地区でも過去に起きていることだからだ。

 特に開拓期の北海道においては、ヒグマが家畜を襲うケースは珍しくなかった。

 例えば北海道出身の詩人でアイヌ文化の研究者として知られる更科源蔵(1904~1985)は、著書の『北方動物記』の中でこう書いている。

〈春に穴から出たばかりの熊は、清水の湧く沢でチシマスゲだのミズバショウだのを食って下痢をしたり石の下からザリガニを探し出したり、腐れ木をこわして蟻をいじめたりして細々と暮しているが、それが夏になるとかえって貧しくなり、木にのぼってサンナシの青い小さな実を食べたり、高山だと渋い這松の実を食ったり、草いちごの実をひろったりして、さっぱり腹のたしになるようなものがないので、危険をおかして、牧場へ狩に出かけて来たりするようになるらしい。しかしこれもどの熊もが、牛や馬に爪をかけるのではなく、一度牛や馬を食って味を知ったのがやるようで、中には馬の群にまぎれ込んで、まごしている純情な熊もあるということである〉

 山にクマの食料が少なくなる夏場に、牧場の家畜を狙うクマがいるという。

写真はイメージ ©getty

 興味深いのは、〈一度牛や馬を食って味を知った〉クマが牧場を襲うという点である。ヒグマは非常に学習能力の高い動物である。一度美味しい肉の味を知ったクマは、その肉がどこへ行けば手に入るかを学習し、執着する傾向が強い。

 ではこの令和の時代になぜこのヒグマは牛を襲ったのか。