先生は「意見なき者は去れ」がモットーで、いつもは「よう言うてくれた」となるのに、このときは「話にならん」という感じ。「ペンキ絵? けっこうやないの。私は芸術家やない、小説書きなんや。平尾さんはインテリのところがあるな」と言われました。考えてみれば、富士山が、誰もが納得する日本の象徴だから銭湯のペンキ絵になるわけで、ここは富士山じゃないといけない。
他の山に変えるのは一種の気取りなのです。私は、小説の王道を教えられた気がしました。先生は口グセのように「私は作家馬鹿」と言っておられたけれど、ふと漏らされた「私は読者に向けて書いてるの。評論家にほめてもらうつもりはあらへん」といったセリフには、読者大衆と直結している強烈な自負がこめられていたのだと思います。
こうした信念は、登場人物の描き方にも生かされています。「善と悪の振幅が大きければ大きいほど、ドラマとしての面白さが生れる」という先生の言葉は、どう書けば読者の心に訴えかける小説になるか、という問いへの答えではないだろうか。養父母に恵まれ大学を出た陸一心は「明」、牛馬のごとく酷使され文字も読めないまま死んでいく一心の妹・あつ子は「暗」。
連載中、「中国側のさる筋」から何度も抗議を受け、たとえば「あつ子を虐待し病気になっても医師の治療も受けさせない養父母など、中国にいるはずがない」とクレームが来ました。先生は動じる気配もなく、抗議覚悟の上で書かれたあつ子の死の場面は、悲劇の絶頂と言えます。その場に一心と松本耕次(実の兄と実の父)が居合わせ、死んでいく妹を前に、生き別れになった家族が再会する。明暗の振幅が最大限に発揮された忘れられない場面です。原稿をいただいたとき、私は涙滂沱となり、先生にお電話したら先生も泣いておられました。
『大地の子』は、いま最も注目したい最良の教材
『大地の子』のタイトルだけで、もはや昔となった戦争孤児の悲劇的な物語だと受け取る方は多いかもしれません。でもそれは全くの誤解です。山崎先生は「現代の日本・現代の中国」を描こうとされた。この小説は、21世紀の現在起きている日中関係のさまざまな問題を理解する最良のテキストだと私は思います。たとえば第1章、かつて小説に描かれたことのない文化大革命の生々しい実態。あるいは日中共同プロジェクト「宝山製鉄(小説では宝華製鉄。2024年7月、日本製鉄は撤退した)」における、双方の不信。国交正常化から半世紀以上たったいまも、両国の関係は近づいたり離れたり。どうしてこのような行き違いが起きるのか。『大地の子』は大きな示唆を与えてくれるでしょう。
(『マンガ 大地の子』五巻収録の「担当デスクが見た作家・山崎豊子と『大地の子』」を改稿したものです。)