「美しく燃える森」の歌詞は「もちろん。完全に当て書きです」
――「美しく燃える森」には、なぜ民生さんが参加することになったんですか?
谷中 最初の歌ものシングルだった「めくれたオレンジ」は、田島貴男をフィーチャーしたことをいっさい言わずに、単にスカパラの曲としてリリースしたんです。でも田島の声は誰もが知っているので、「あれ? スカパラの音だけど田島貴男だよね?」って。その話題性も含めて、みんなに面白がってもらえたんだと思います。たぶんそのあとで、続けてシングルをリリースすることになったんですよね。
民生さんに参加してもらったのは、あるとき一緒に飲んでいたら、「最近、田島とかと一緒にやってるらしいじゃん」って言ってきたんです。それを僕が売り言葉と勘違いして、「え、呼んだらやるんですか?」と言い返したら、民生さんが「やるよ!」って。すぐに「民生さんがやるよと言ってる」ってみんなに伝えました(笑)。
――「美しく燃える森」の歌詞は、民生さんが歌うことを想定して書いたものですか?
谷中 もちろん。完全に当て書きです。「美しく燃える森」というタイトルの映画に、本来は自分自身で監督も脚本も演技もできる人に俳優としてのみで出てもらって、僕たちが演出する感覚がありました。
僕のアイデアとしては、照れずに、大人の雰囲気でラブソングを歌ってもらいたかったんです。しかもスーツを着て歌うとしたら、すごく色っぽくてカッコいいものになるんじゃないかって。そう思いながら、歌詞を書いた覚えがあります。見事にその通りになりましたよね。
――ちなみにその時期、谷中さんが歌詞を書くようになったのはなぜなんですか?
谷中 わりとやさぐれていて、お酒ばかり飲んでいた時期なんです。たしか二日酔いだったと思いますけど、ツアー中にふと東京駅で携帯電話を買ったんですね。お酒を飲むと放浪する癖があったので、ちゃんと連絡が取れるようにしなきゃと思ったのかもしれない。
ところが携帯のメール機能を使って、いろんな文章を打ち込んでいたら、それが面白くなってきて、ためしに題名を付けたら「これは詩だ」って。それでまわりの人たちに、その詩を送りはじめたんです。1年くらいたった時ですよね、「だったら歌詞も書いたら?」と言われたのは。
――2001年前後だったと思いますが、音楽関係者のあいだでは「谷中さんから詩が送られてくる」という声が多数聞かれました。
谷中 見境なく送ってたんです(笑)。飲みにいくと、その場にいる全員に「詩を送るから教えて」って、連絡先を聞いてましたから。取材を受けるたびに、全然覚えてないようなメディアの人から、「詩が送られてきました」って言われるんですよ。
ドラムの青木が亡くなったあと、音楽に限らず幅広い業界関係者とつながりを持っていた彼の社交性を、僕が引き継がなきゃなと思ったんですよね。そういう責任感と、飲酒によるだらしなさが混ざった結果(笑)、いろんな人に連絡先を聞いていました。その頃は本当にあらゆる人と仲良くなろうと思ってたんです。
写真=三浦憲治
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