人生を賭けた転職

「人生の半分だけ、預けますわ」

 鈴木は慶応大学から広島の東洋工業(現・マツダ)に就職し、経理部に勤めていた。そこへオーナー一族の松田(はじめ)が転じてくる。父親である松田耕平はロータリーエンジンを開発して業界を驚かせた人物だ。しかし、石油ショックもあり、経営不振に陥って広島カープに追いやられ、元も父の後を追った。

 元はしゃべるのが苦手で大変な照れ屋だ。その口下手な男が、弟のように付き合っていた鈴木を執拗に勧誘した。「助けてくれ」「困っているんじゃ。新しいこともやりたいんじゃが」

 根負けした鈴木は東洋工業の幹部候補生だったのに、会社に辞表を出し、元にこう言った。「人生の半分だけ、預けますわ」

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 相手に人生の全てを預けると、不満や疑問があっても、反論することができなくなる。だから、半分だけ人生を預けて、「辞めろ」と言われたらいつでも辞めてやるーーそんな気持ちだった。

〈わらわれて わらわれて

 えらくなるのだよ

 しかられて しかられて

 かしこくなるのだよ

 たたかれて たたかれて

 つよくなるのだよ

 よのなかのえらいといわれたひとが

 みんないちどはとうたみちなんだよ〉

 それは松田耕平がカープの礎の一つとして大事にしている言葉だという。鈴木がカープ球団に入ったころ、元がそれをメモに記して渡してくれた。作者は不明だが、いい言葉だ、と鈴木は思っていた。

 わらわれて、しかられて、たたかれて、強くなるしかないのだ。耕平にとっては東洋工業を追われ、悔しさを秘めて転じた球団経営であっただろうし、鈴木にとっては、もはや帰るところのないサラリーマンの一本道だった。

超二流で生きろ

 冒頭の漫画「サラかん」には、名選手をモチーフにしたユニークな選手たちが次々に登場する。主砲の肝原(キモハラ)や、リリーフの江松(エマツ)、サード茂木(モテギ)、センターのジローたちだ。
 一方のカープにもユニークな監督と選手がいた。中でもカープ監督の三村敏之は褒め上手だった。

 ドラフト1位入団の野村謙二郎(後に監督)には「今のお前の力なら広島を通過する新幹線だって止められるぞ」と持ち上げた。

「超二流」の生き方を教える人でもあった。1994年オフに移籍してきた木村拓也のバッティング練習をじっと見ていた。ある日、こう言った。

「タクヤ、短く持っていてもお前の力で芯に当てれば、50%はスタンドにいくぞ」

 そして笑顔で「大丈夫だ、届くから」と付け加えた。

 その後、木村は鈴木の口添えで巨人にトレードでやってきた。そのとき、高校の先輩にあたる私に、「三村さんのあの言葉で、僕は心を決めたのです」と打ち明けた。小兵なりの超二流の生き方をするというのだった。

 木村は朴訥とした口調に矜持を隠した男で、「上原浩治が雑草と言うんだったら、俺は岩にへばりついた苔ですかね」と私に話したことがある。巨人のエースだった上原は、無名の高校時代からメジャーへと飛躍し、「雑草魂」を口にしていた。それなら、自分は「苔魂」で頑張るしかないと、上原への羨望を込めて言うのだった

後半へ続く

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清武 英利

文藝春秋

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