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最初の殺人と同じ年に起きた坂本弁護士一家殺害事件

 1989年11月の坂本弁護士一家殺害事件で、オウムは初めて教団外の人を殺害した。この事件で、教団は一挙にメディアにも注目されたが、教団は関与を否定し続けた。

 残念なことに、この事件での警察の動きは、極めてにぶかった。神奈川県警の捜査責任者は、なぜか「一家は自発的に失踪した」という見立てで積極的な初動捜査を行わず、実行犯の1人が寄せた有力な情報も生かされなかった。

野放し状態だった教団が犯した凶行

 その結果、事件の首謀者と実行犯が長期にわたって野放し状態となり、教団はどんどん大胆になっていった。挙げ句に、松本サリン事件や地下鉄サリン事件といった無差別大量殺人や、猛毒のVXを使って教団にとって邪魔な者を殺害するなどの事件を引き起こした。金銭を奪うことを目的とした拉致監禁事件や近隣住民を対象にした盗聴事件もあった。だが警察は、国土法等違反事件で強制捜査を行った熊本県警を除いて、極めて及び腰、もしくは遠慮がちであった。

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 その警察も、地下鉄サリン事件の2日後に大がかりな強制捜査が始まって以降、それまでとは打って変わって本気でオウムに取り組み始めた。特に、未だサリン等の化学兵器がどれだけ残っているか分からない中、強制捜査に入った警察官は、まさに命がけの覚悟だったろう。

強制捜査を受けるオウム真理教施設第7サティアン ©文藝春秋
 

 警察官もいる中で、教祖の側近である村井秀夫を暴漢に殺害されてしまうという、極めて残念な事件はあったが、強制捜査開始以降、警察は教団関係者を1人も殺さず、時間はかかったものの被疑者全員を逮捕し、取り調べた。検察は192人を様々な罪名で起訴。長期間逃走していた3人を除き、裁判は職業裁判官のみによって裁かれる形だったので、審理にはたっぷりと時間をかけて、事件の解明に努めた。

4億5200万円を費やした麻原の弁護

 これだけの事件で、関係者すべてを裁判にかけ、時間も費用もかけて事実の解明に努めたことは、法治国家として誇ってよいのではないか。

 たとえば教祖の一審には、初公判から判決まで7年10カ月をかけ、257回の公判が開かれた。呼んだ証人は延べ522人に上る。1258時間の証人尋問時間のうち、1052時間を弁護側が行っている。検察側証人に対して実に詳細な反対尋問が行われたことが、この数字からもわかるだろう。証人尋問では、主にかつての弟子たちが事件の経緯や教祖の関わりについて詳細に語った。なお、麻原には、特別に12人もの国選弁護人がつけられ、その弁護費用は4億5200万円だった。

 麻原の控訴審は、弁護人が「被告人との意思疎通が図れない」として控訴趣意書の提出を拒み、高裁が締め切りを延長した後にも提出しなかったために、一度も法廷が開かれることなく、控訴棄却の決定が出た。弁護人は、それに異議を申し立て、最高裁まで争ったが、決定は覆らなかった。