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80年代に“セルフィー”を先取りした美術家が今、問うこと

80年代に“セルフィー”を先取りした美術家が今、問うこと

アートな土曜日

2018/12/08
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セルフポートレートで存在の不安を問う

 思えばセルフポートレートは、昨今大流行である。いわゆる「自撮り」というものだ。著名人は「今日のわたし」を撮影してせっせとSNSにアップしているし、一般の人だって旅先で、飲み会の席で、教室でと、自分を含めた半径1m以内の身の回りを撮るのにいつだって忙しい。

《肖像(歩く人 II)》1986年 作家蔵

 この状況を1980年代から早くも先取りしていたのが森村泰昌だったとも言えよう。ただし森村のセルフポートレートからは、自撮りの写真に漏れ出ているような「私を見て!」という自意識は感じられない。

 むしろ作中で何かになりきった森村の姿は、「人はみな何かを演じ続けている、本当の自分などどこにもない、そこにあるのは何かに依存した不安定な自分だけ」と訴えかけているかのよう。自意識を表出するどころか、ここでは自分の存在の不安が吐露されており、その怖れが観ているこちらにも伝播してくるのだった。

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 自分自身について、また人という存在についての探究という根源的なテーマを早いうちに掘り当て、一貫してセルフポートレート作品に取り組み続けてきたのが森村泰昌の30数年の活動である。私設ミュージアムの展示から、その凄味がしかと伝わってくる。

80年代に“セルフィー”を先取りした美術家が今、問うこと

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