独自の耽美的世界を追究した作家・谷崎潤一郎(1886〜1965)は「細君譲渡事件」など複雑怪奇な女性関係でも知られた。著書に『谷崎潤一郎を知っていますか』(新潮文庫)がある阿刀田高氏(90)がその功績を綴る。
谷崎潤一郎は良くも悪くも自分ファーストの人柄だった。他人への心遣いもそこそこに示したが基本は自身の思想や好みにかたくなで、それを守り、それを貫いた生涯だった。
生まれは東京日本橋、江戸っ子の気配を帯びていたが、関西に憧れ、関東大震災を機に住まいを西に移し、一生のほとんどをこの地で過ごした。引越しも40回を超え、このあたりにも自分の好みに恙なく従う性向が見えるようだ。
早くから文学に、創作に関心を抱き執筆に励んでいたが、デビューを飾ったのは24歳の発表、永井荷風が高く評価した短編『刺青』だろう。書出しからして“それはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(きし)み合わない時分であった。殿様や若旦那(わかだんな)の長閑(のどか)な顔が曇らぬように、御殿女中や華魁(おいらん)の笑いの種が尽きぬようにと、饒舌(じょうぜつ)を売るお茶坊主だの幇間(ほうかん)だのと云う職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりして居た時分であった”と、けばけばしい。ストーリィは若い娘の背肌いっぱいに妖しい刺青を彫る、というもの。その図柄は男を食い物にする凄まじい女郎蜘蛛、かたわらに男の屍を楽しむ妖しい女の絵2枚……。魅力的な女性に憧れ、従属して身を滅ぼす男性を描くのは谷崎の生涯のモチーフであった。例えば『痴人の愛』『春琴抄』などに顕著である。

どんどん名作、話題作を発表する谷崎に奇行も少なくない。29歳のとき親しんだ女性の妹、石川千代と結婚するが、この女(ひと)は(面白味が薄く)谷崎の好みに合わなかったようだ。娘が生まれたが夫婦仲はよくない。千代の妹のせい子(谷崎の支援などもあって女優となる美形)とも怪しい。親友の詩人・佐藤春夫が千代に同情し、好意を抱き「千代さんを譲ってくれよ」。谷崎は「いいよ」と言いながら言葉を反故にしたため2人は絶交、だがやがて約束通り千代と佐藤は結ばれ、ややこしい。いざこざは公表され、著名な文学者のトラブルだったから世間の話題となった。
その少し後、谷崎は文芸記者の古川丁未子(とみこ)と深く親しみ、結婚。しかし、かねてより憧れていた根津松子との関係がスムーズになり、丁未子と別れ松子と同棲ののち結婚。丁未子は離婚となり“たまったものじゃない”だったろうが、松子は最期までの谷崎の良き伴侶となり、谷崎の女神となった。
仕事について言えば、『源氏物語』への敬愛には深いものがあった。現代語訳に執心し、改訂版を創りながら11巻の完成版まで二十数年を費している。世界に誇る古典なのだから、その愛着も努力も納得できるが、ご存知ですよね、これは“帝をコキュ(寝取られ男)にして、そこで生まれた不倫の子がまた帝になる”というストーリィなのだ。不敬この上ないが、この執着には谷崎の深い好みがはっきりと見える。
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