「グローバリズム」「民主主義」「情報化」という現代文明の三点セットが新型コロナウイルスによる被害とパニックを増幅させている。行き過ぎたマーケット主義から少し身を引き、効率性や貨幣価値では測れない社会の「強靭性」を高めていくことが大切だ。
「常識」と「寛容さ」
今回の新型コロナウイルスで、世の中は大騒ぎになっていますが、いま京都の町は、観光客が減少し、静かに落ち着いた雰囲気です。大阪方面から京都に通勤している知人も、電車から見える河川敷で、臨時休校の子供たちが楽しそうに遊んでいるのを見て、「よい光景を見た」と言っていました。もちろん、臨時休校で、卒業式や入学式が中止になったり、問題はいろいろ生じます。しかし、今の子供たちは、学校に縛り付けられ、さらに塾もあったりと、ずいぶん窮屈な毎日を過ごしている。ですから、まるで昭和中頃のように、子供たちが遊んでいる姿を見て、「この方がよほど健全だ」と感じるわけです。
そんな知人との会話の後にテレビをつけると、「臨時休校なのに子供が公園で遊んでいいのか?禁止すべきではないか!」というクレームが寄せられ、それに文部科学省も、その程度の外出は容認する文書(「一斉臨時休業中の児童生徒の外出について」)を出したというニュースが流れていました。
つい笑ってしまいましたが、こうなると政府も対応せざるを得ない。「この規則は、ここまでは適用され、ここまでは適用されない」といった“基準”を杓子定規に示さなければならなくなります。
こんなことは、かつてなら誰もが「常識」で判断していました。「常識」はどこに行ってしまったのか。
佐伯氏
もちろん、今回の新型ウイルス問題は深刻な事態です。欧米ではパンデミックになっています。東京も感染者が急増している。また経済に与える打撃は深刻です。しかし、少し突き離してみれば、このところの騒ぎは、ドタバタ喜劇を見せられているかのようでもあります。
とくにマスコミです。未知のウイルスで、何が起きているかよく分からない。ですからこちらも、テレビの報道番組に頼るしかないのですが、マスコミは何かと政府を批判する。しかし、その批判があまりに場当たり的です。
たとえば「臨時休校措置」について、ある報道番組のコメンテーターは、自分自身が賛成か反対かは言わずに、「休校すべき明確なエビデンス(科学的根拠)を示していない」と批判する。「こんなことを突然やられたら、現場が大混乱する。専門家会議が判断の基準を示して、きちんとプロセスを踏むべきだ」と。しかし、「中国からの入国拒否」が話題になると、「なぜもっと早くやらなかったんだ?政治主導で決断できたはずだ」という。
そもそも非常時の危機対応は、本質的なジレンマを抱えています。「正確な情報」や「エビデンス」の裏付けを待っていては、対応としては「手遅れ」になってしまう。つまり、不十分で不正確な情報も含まれるなかで、「緊急判断」を迫られるわけです。
これまでの政府の対応が万全だったとは思いません。ただ事態は流動的で、多少の不手際があっても仕方がない。「常識」から判断すれば、そう受けとめられる。ところが、マスコミがそうした「常識」や「寛容さ」を失ってしまい、人々もそれに振りまわされる。
事態を複雑化させる専門家
科学技術の高度な発展によって、「危機」がかえって見えにくくなる。これが現代社会の特徴です。
ドイツの社会学者ベックは、豊かさをもたらす科学技術の発展と同時に、さまざまなリスクが生み出される現代社会を「リスク社会」と呼びました。「リスク」という言葉は、私は好きではないのですが、ベックは、現代社会の「危機」の一面をうまく捉えています。
たとえば、「かつての飢餓のような危機」は、「誰が被害者になるか」がある程度、見えていました。したがって「対応」もできた。ところが、「現代社会における危機」は、「地震」にしろ、「通り魔殺人」にしろ、「テロ」にしろ、そして「ウイルス」にしろ、「誰が被害者になるか」は分からない。ターゲットが絞れず、個別ケースをすべてはカバーできないので、対応が難しくなるわけです。
ベックが指摘する現代社会のリスクのもう一つの特徴は、「専門家が出てくることで事態がかえってややこしくなる」ということです。
福島原発事故の際も、放射能のリスクについて専門家の意見は2つに分かれました。巨大地震のリスクについても同様です。今回の新型ウイルスについても、少なくとも2月中頃までは、専門家の間でも「大変な事態になる」という意見と「大して強いウイルスではない」という意見に分かれていました。こうなるとマスコミも世間も振り回されます。不安がさらなる不安を呼ぶ悪循環に陥ってしまう。
これまでの歴史のなかで、「飢餓」「戦争」「自然災害」そして「疫病(ウイルス)」は、人類にとって最大の「脅威」でした。そして人類は、「安定的な政治制度の確立」「経済成長」「科学技術・医学の発展」などによって、こうした「脅威」に打ち克とうとしてきました。これが、人類が築き上げてきた「文明」の歴史です。
ところが、今日、皮肉なことに、高度に発達しすぎた現代文明自体が、今回の新型ウイルスがもたらす災厄をむしろ大幅に増幅させています。と同時に、今回の新型ウイルスによって、現代文明の弱点が恐ろしいほどに浮かび上がっています。
グローバリズムの完成形
現代文明の中心は、「グローバリズム(グローバル経済)」と「民主主義」と「情報化」です。
今回の新型ウイルスの世界的大流行は、「グローバリズムの完成形」とも言えるでしょう。「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」が国境を越えて急速に移動するのが「グローバリズム」ですが、これに「ウイルス(感染症)」も含まれる、ということです。
人類史上、パンデミックは、中世のペスト、大航海時代の新大陸での天然痘大流行、第一次世界大戦時のスペイン風邪など、何度もありましたが、今回の場合は、流行拡大のスピードがあまりに速く、世界各国がほぼ同時に同じ問題に直面しました。こんな事態は、この20〜30年間のグローバリズムがなければ、あり得なかったことです。
さらに今回の新型ウイルスは、「グローバル経済がいかに脆いか」を白日の下に晒しました。これまでグローバリズムを推し進め、妄信してきたことの“しっぺ返し”のようにです。「ウイルス」の蔓延で、「ヒト」と「モノ」の移動がストップし、世界経済は大打撃を被りました。すると株価も大暴落し、「カネ」の流れもストップ。「情報」だけは回り続けていますが、むしろ瞬時に世界を駆けめぐる「情報」が、パニックを増幅させているように見えます。
確かに今後、経済は大きな打撃を受けます。商売が立ち行かなくなる人も所得がなくなる人もいる。これは深刻な話です。しかし考えてみれば、季節性インフルエンザより多少強めのウイルスの出現によって、一気にこれだけの経済的ダメージがくることの方が異常でしょう。
中国発ウイルス
しかも興味深いのは、今回の危機が“中国発”だったことです。
ここ30年来のグローバリズムにおいて、中国は、不可欠な中心的アクターでした。米国、ヨーロッパ、日本のグローバル企業が「(独裁体制で安い労働力の)中国」を“世界の工場”として活用することで初めて、今日のような「グローバル経済」が可能になったからです。中国から発し、日本、ヨーロッパ、そして米国に飛び火したウイルスは、今日のグローバル経済のあり方を象徴しています。「中国産の工業製品」と同じように、「中国発のウイルス」が日米欧に“輸出”されたからです。
「中国経済への過度な依存はあまりに危険だ」という議論がここで出てきてしかるべきです。ただそれは、別に「中国が悪い」という話ではありません。グローバル企業が手っ取り早く利益を貪るために、「中国に過度に依存する(中国を“世界の工場”として濫用する)いびつな経済構造が間違っていた」という話です。
今回の新型ウイルスの被害は、中国との距離の取り方によって異なっています。その点、中国との経済関係を強め、「一帯一路」構想の覚書まで調印したイタリアで大きな被害が出ているのは象徴的です。これは、イタリアだけでなく、欧州の他国にも言えるでしょう。
感染拡大で無人になった北イタリアの街
また、中国から多額援助を受けているエチオピア出身のWHO事務局長が、露骨に中国を擁護していますが、こうした方面での中国の影響力も無視できません。「中国をどう理解し、中国とどう距離を取るか」は、日本も含め世界にとって、これから非常に大きな問題になってくるでしょう。日本では、中国に約8割も依存していたマスクの輸出が実質的に止められて、深刻なマスク不足となり、医療現場では大変な事態になりました。インバウンドの観光業も消費も中国頼み。“中国への過度な依存”は大きな問題なのです。
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source : 文藝春秋 2020年5月号