英エコノミスト誌記者「イラン幽囚記」 第3回

ニコラス・ペルハム 英エコノミスト誌中東特派員
ニュース 国際
2019年7月、ニコラス・ペルハムは、記者としては珍しくイランへの入国ビザを取得することに成功した。ところが出張を終え帰国しようとしていた当日、当局に拘束された。本稿は、拘束時の貴重な記録である。第3回では、タンカー拿捕で英国との緊張が高まるなかで、「人質」として活用される不安に襲われた時の様子を回顧する
ニコラス・ペルハム
 
ペルハム氏

海洋タンカーや国際外交を巻き込んだ政治ゲーム

 拘束されて10日目の晩、ドクターが笑顔でホテルへやってきた。調査が完了し、私が実際に記者である確認が取れたという。5日後の来週火曜日に帰国して良い、とのことだった。あと残されている作業は、私の出国ビザ手配のための書類準備だけだという。

 私が再びイランを訪れることを願っている、連絡を取り合おう、と言った。アリは、イングランドのサッカーチーム、アーセナルの本拠地である「エミレーツ・スタジアム」の写真を撮って送ってほしいと頼んできた。私は、計画していた家族とのキャンプ休暇に行けるのだ。病気がちで最近具合がよくない父親にもじきに会える。心配している同僚たちもほっとさせられる。

 ここへきてやっと、如何に自分が置かれていた状況が恐ろしいものだったのか、を直視する余裕ができた。また、ちょっとしたことで、更にひどい状況に置かれていたかもしれない、ということも初めてここで意識的に考えることができた。ほんの一瞬の出来事で、私は数カ月、下手をしたら何年もの間、監禁されていたかもしれない。

 ロンドン本社に帰国フライトの予約をしてもらうべきか、とアリに聞くと、得意の「待て」という返事だった。私は家族、同僚、そして自分自身の期待と不安と向き合い、あふれ出てくる気持ちを整理することに苦労した。そこで外へ土産を買いに出た。妻には手作りの指輪を購入した。何本かの指にまたがって銀の茨が絡み合うデザインだ。それと眠りにつく女性の絵も買ったが、これは出国の際に当局に没収されるだろうと思った。

 この時まで、尋問に対する私の答えは意味のある重要なものであると感じていた。

 私が拘束されたのは、革命防衛隊が私の活動に本当に疑念を抱いていたからだ。そもそも外国人は――多くのイラン人も――スパイでない、という確固たる証拠がない限り、スパイだと疑われて当然なのが、この社会システムなのだ。したがって今後、私はその疑念を晴らすために、より頻繁にイランを訪れるべきだとすら考えていた。しかし私の出国ビザは待てど暮らせど出なかった。この時になって初めて、自分が如何に世間知らずであったかを思い知った。

 私が置かれていた状況というのは、ちっぽけな私が影響を及ぼせるようなスケールをはるかに凌ぐ、海洋タンカーや国際外交を巻き込んだ政治ゲームだった。英国政府がイランの石油タンカーを拿捕した2週間後の7月19日、イラン革命防衛隊はイギリス船籍のタンカーを海事規則に違反したとして拿捕した。

「人質」となる不安

 私が帰国して良いと約束された日はいつしか訪れ、そして去っていった。ドクターも姿を現さなくなった。拘束者という存在でありながら、私はドクターには頼りがいを感じるようになっていた。彼に会えないことで、私は動揺し不安になった。私の担当者であった人々からは音沙汰がなくなり、「私」という案件は宙吊り状態に放置されたまま、何週間もの時が過ぎていった。

 8月15日に英国政府はイランのタンカーを解放した。しかし革命防衛隊は立場を覆そうとはしなかった。イランのタンカーは航行を再開したが、積載した貨物の荷卸しができなかった。アメリカの圧力により、地中海の港という港がイラン船の着岸を繰り返し拒否していた。

 このニュースを見守っていた私は、革命防衛隊が私という「人質」を活用することで何らかの取引を提案しようとするのではないか、もしくはイラン政府内のライバル闘争において利用価値がある「人質」になってしまったのではないか、と恐れた。

 私は徐々にイラン政府の二大権力が極度の緊張関係にあることを直接、肌で感じ、理解するようになった。ホテルはホテルで、パスポートすら持っていない外国人が際限なく滞在し続けることに次第にナーバスになってきているようだった。それが証拠に、とある晩ホテル側は私を立ち退かせたい一心で私の部屋の電気を切り、直しようがない電気事故がその原因であると主張した。

 その翌朝、警備官らが現れ、私は違う場所に移動させられた。目的地に向かう途中で2台のバイクに追いかけられた。我々の車は北テヘランの裏道を左右に揺れながら疾走した。運転をしていた警備官が、袋小路に車を突っ込み、やっと追跡者らをまくことができた。

 新しいホテルに移って落ち着いたころ、アリが久しぶりに姿を現した。尋問官らも引き連れてきたが、同じ革命防衛隊であっても、以前と比較すると格下のメンバーの寄せ集めにみえた。その中には私が拘束された日に最初に声をかけてきた背の低い男もいた。尋問はより形式張って、より脅迫めいたものとなった。尋問も、埃まみれのアリの車の中ではなく、テヘラン中心部の革命広場にほど近いアパートの一室に召喚され行われるようになった。

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テヘランの革命広場 ©iStock

タンカー拿捕事件

 新しい尋問官は、ガマガエルの様な風貌で、レザーで身を固めていた。私のパソコンには罪深い――国家安全に関わるような――資料があることを警備官が突き止めた、と告げた。その内容というのは、私が政府の下働きとやりとりしたメールで、イラン政府高官らの子息と紐づいた指輪の密輸についての会話だった。この会話はまさに、ジャーナリズムからスパイ活動への一線を越えた明らかな証拠である、と彼は締めくくった。したがって私に対する調査が再開される、とのことだった。

 アリから一切の笑顔は消えていた。アリが上司に手書きのメモを渡したり、耳打ちをしたりする様子は、私を不安にさせた。

 この尋問官は私のパソコンから見つかったというイラン人ジャーナリストの名前を指さし、この人物についてより詳しい情報を提供するよう、命令した。さらに私がこのジャーナリストに賄賂を支払ったと非難した。またイランにおいて人材流出が加速しているという内容のメモが私のパソコン上に見つかったということは――少なくともこの尋問官の考えでは――私がイランの士気を下げる意図を持っている証拠だ、というのだ。誰を勧誘しようとしていたのか、と私に聞き、スパイ容疑で訴える可能性を再びちらつかせてきた。

 ホテルで朝食を取りながら新聞に目を通していると、イランのブリティッシュ・カウンシル〔英国の国際文化交流機関〕に10年間勤めていたイラン人が、スパイ容疑で国から実刑判決を受けたというニュースが目に飛び込んできた。イランは、英国がタンカーを拿捕したことに対し、その代償をあますことなく払わせようという気があることが、ひしひしと伝わってきた。

 タンカーを巡るイランと英国の緊張感が高まるにつれ、私はイラン側からの圧力をイギリスに伝える小道具の一つとなっていると感じ始めた。私に支給した携帯電話を通して、革命防衛隊がロンドンに向かって「実力行使をするぞ」というイランの意気込みを伝えている気がしたのだ。奇妙だが、私は人質であると同時に媒介者でもあった。

 革命防衛隊と1カ月も密接な時間を過ごしたのにもかかわらず、改めて、彼等の雇人らが守ろうとしている世界観というものを私が殆ど理解できていないことに気づいた。そもそも、出会ったこれらの人々が果たして、どれほど真なる信仰心を持っているのかさえ確かではなかった。

 テヘラン市街をドライブするなかで、アリは自分の学生時代の話、幼い子供がいること、英国サッカーのファンであること、などについて話してくれた。理念的な話は殆ど出てこなかった。

イランの「聖」と「俗」

 犯罪取締班の管轄下におけるテヘランの主流文化は極めて世俗的だった。イランは自身のことを神権政治と呼んでいるが、日常において「信仰」をみつけることは苛立たしいほど難しく、真に信心深い人々はむしろ少数派として社会の中心から外されているように感じられた。

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source : 文藝春秋 2020年11月号

genre : ニュース 国際