「圧倒的火力」対「国家総動員」。平野や川、湿地、高地での激戦に迫る。
小泉氏(左)と高橋氏(右)
反撃のチャンス
小泉 2月24日にロシアがウクライナに侵攻してから、5カ月が経とうとしています。当初、首都・キーウは数日で制圧されるだろうと見られていましたが、大方の予想に反してウクライナは徹底抗戦しました。現在も東部のドンバス地方で互角の戦いが続いています。
軍事力でロシアに大きく劣るとされていたウクライナが、なぜここまで善戦しているのか。この対談では特徴的な戦略や戦術に注目して、徹底解説していきたいと思います。
高橋 私が最初に取り上げたいのは、ロシア軍の序盤の動きです。侵攻開始当初、ロシア軍は電撃侵攻を試みました。一気に首都キーウを制圧し、ゼレンスキー大統領を捕縛ないし、殺害しようとした。
しかし、そんなに上手くいくはずはないと、私は思っていました。フセインやカダフィなど、相手の最高指導者を狙う作戦は歴史上何度も試みられていますが、成功したのはパナマのノリエガ将軍を捕縛した「ジャスト・コーズ」作戦しかないからです。
キーウに対するロシアの攻撃は主に2つの方向から来ていました。1つはドニエプル川の西側、ベラルーシとの国境から南下していった部隊。もう1つが、東部のスムイ方面から西へと向かっていった部隊です。それらの部隊でキーウを包囲して、四六時中、砲爆撃を浴びせ、ウクライナを事実上の降伏に追い込む。それがプーチンの当初の構想だったのだと思います。
小泉 ロシア軍はかつてない規模の戦略機動をおこなって、キーウを狙いにいったと言えます。相当な気合が入っていました。
例えばベラルーシ方面から入ってきた部隊は、東部軍管区の第35軍と第36軍で構成されていた。東部軍管区は中国を相手にしている軍管区なので、ある程度の重兵力を持っている。その中でも一番規模のでかい主力部隊を、シベリア鉄道でガタゴトと運んできたわけです。キーウを東側から攻めた部隊には、西部軍管区の第1親衛戦車軍が入っていました。こちらも戦車と装甲車を中心に構成されている、かなりの精鋭部隊です。
高橋 当時の状況を見ていて気になったのが、東側からの部隊のスピードが速すぎたことでした。通常は1日あたり10キロを超えれば速いほうですが、1週間に100キロのペースで進んできていた。かなり限界に近いスピードだったので、「これはウクライナに反撃のチャンスがあるな」と思っていました。
というのも、実は戦車って自家用車よりも壊れやすいので、無理をして進めば進むほど脱落して数が減っていくんですね。ウクライナ側に入り込むほど補給状態も厳しくなり、隊列も乱れていきますから、反撃のチャンスになります。
趨勢を決めた「ブロバルイの戦い」
小泉 高橋さんの予想通り、東からの部隊が弱りきったところで、ウクライナ軍は反撃に出たわけです。
高橋 象徴的だったのが、3月9日に始まった「ブロバルイの戦い」です。ブロバルイはキーウのすぐ東に位置する都市ですが、首都ギリギリまでロシア軍が迫ってきたところを、ウクライナ軍がミサイルでダダダダッと撃破していった。そうやって東からの部隊を食い止めた後は、北側に転進します。ベラルーシ国境から南下してきていた部隊も迎え撃ちました。
小泉 ブロバルイの戦いでは、ロシア軍中央軍管区の虎の子である第90親衛戦車師団が、壊滅的な打撃を受けたようです。侵攻したロシア軍の“背骨”をへし折るくらいの、大きな成果をあげました。
高橋 このように相手をギリギリの地点まで引き込んで、乱れ切ったところで迎え撃つのが「機動防御」と呼ばれる作戦です。この機動防御をウクライナ軍が有効に活用できたことで、キーウを守り抜くことが出来た。
小泉 もちろんウクライナ側も相当な数の犠牲を出しましたが、現場の兵士たちが死ぬ気でやり切った。最後まで諦めなかったからこそ、緒戦をなんとか凌ぐことが出来たのだと思います。
高橋 開戦初期の展開のなかでは非常に際立った戦闘で、後世の教科書で紹介されてもおかしくないレベルですね。ロシア軍に大打撃を与えたことで、その後の戦局の趨勢を決定づけたと言えます。
ウクライナ全土の地図
「聖ジャベリン」なる現象
小泉 ロシア軍の侵攻を食い止めるのに大きな役割を果たしたのが、アメリカから大量供与された対戦車ミサイル「ジャベリン」でした。自前の軍隊に加え、ジャベリンを活用したことで、ウクライナ軍は数多くのロシア戦車を撃破することに成功しました。
高橋 ジャベリンの総重量は20キロ程度で、歩兵が肩に担いで目標を攻撃します。ミサイルを自動誘導する「撃ちっぱなし式」のため、発射後に速やかに退避することが出来るのも特徴の1つです。
小泉 僕が面白い現象だなと思ったのは、「聖ジャベリン」なる現象が巻き起こったことですね。聖母マリアがジャベリンの発射機を抱いているイラストが、インターネット上で数多く拡散されていったのです。なんと公式サイトもできていて、ステッカーやマグカップなどのグッズが販売されています。要するにジャベリンが擬人化され、救国のシンボルとして扱われているのです。
他にも、ウクライナの住宅の壁に描かれた聖ジャベリンが話題になりました。
住宅の外壁に描かれた「聖ジャベリン」
高橋 (写真を見ながら)これ、すごいですね。
小泉 旧ソ連圏を訪れると、団地の壁に絵が描かれていることが多々あるんですよ。その国や町にとって最も大事なシンボルが壁画になっている。例えば空軍の飛行訓練センターがある町では、官舎の壁に英雄のパイロットたちの像が描かれていたりします。
高橋 写真を見るとかなり大きな壁画に感じますけど、どうやって描くんですかね。
小泉 私も気になっていたんですが、ロシアを旅した時に制作現場に遭遇したことがあります。プロジェクションマッピングってあるじゃないですか。プロジェクターを活用して、建物などの物体に映像を投影する技術です。あれを利用して、団地の壁にイラストの下描きを拡大して映すんですよ。下描きに沿って線を引く作業を繰り返し、それが終わったら色を塗っていく。
高橋 なるほど……。当初は非常に使いやすいと言われたジャベリンですが、実際のところは扱いが難しいらしいです。というのも、ジャベリンの操作運用マニュアルは250ページほどもあって、本来なら80時間の講習が必要とされている。特に、赤外線センサーを冷却するプロセスが複雑とのことです。それをウクライナ軍はいきなり実戦現場に放り込んだので、混乱してしまう兵士もいた。
ジャベリンには、製造元であるロッキード・マーティンのカスタマーサービスのフリーダイヤルが記載されているらしいです。前線から電話するケースもあるようですが、実はつながるのは広報部署で、すぐには答えられない。
小泉 ははは。
高橋 さらに言えば、カスタマーサービスなんて基本的に繋がりませんからね。特に、あのアメリカですよ?
小泉 アメリカでカスタマーサービスに電話した経験はないですが、繋がらないものですか(笑)。
高橋 難しいですよ! 仮に電話が繋がって「いま戦場で敵と戦ってるんだけど」と言われても、どうしようもないですけどね。
小泉 それは製造会社の人間も困るでしょうねえ。
高橋 また、ウクライナ軍には世界各国から義勇兵が参加している。米軍出身の義勇兵は、ジャベリンの扱い方が分かっているから、指導も行っています。彼らが前線に出てジャベリンの指導をしていることもあり、民間人にそこまでの危険を冒させていいのか、という批判も出てきています。
ロシアのお家芸「マスキロフカ」
小泉 ウクライナ軍の激しい抵抗にあったロシア軍は、3月末から4月頭にかけて、キーウ周辺からの撤退を始めましたね。
高橋 私は「ロシア軍は撤退時に大損害を出すだろう」と予想していたのですが、ほとんど被害を出さずに、非常に整然とした撤収を成し遂げた。あの鮮やかさを見て「さすがはロシア軍だ」と感心したのを覚えています。これもまた、歴史に残るような撤退戦でした。
小泉 ロシア軍って妙に戦慣れしていますよね。
少し補足すると、軍隊は撤収する時が最も脆弱となり、損害が出やすい。昔、ヤクザの組長のインタビューを見ていたら、「敵のヤクザのタマを取りにいく時は、刺した後が大事だ」と語っていました。刺した後に大慌てで逃げると逆にそこを狙われる。怖がっている素振りを見せずに、堂々と歩いて下がらなければならないと。それを聞いて、「あ、戦争と同じだな」と思ったことがあります。
高橋 「下がる」というのは、相手に背を向ける行為ですからね。最初は1万人で侵攻したとしても、激しい戦闘の結果、最後に残るのは数百人程度になる。その規模の人数で無傷で撤収するのは至難の業です。
小泉 一部の部隊が退いている間に他の部隊が援護して、その部隊が退く番になったらまた別の部隊が援護して……そうやって上手に退いていかないと、後ろから追い打ちをかけられて酷い目にあいますから。
高橋 それにしても、あんなに綺麗サッパリいなくなるとは思わなかったですね。キーウ攻略に失敗した後も、榴弾砲の射程圏内には一部の部隊を残すと予想していました。そこから嫌がらせ的な砲撃を続けておけば、ウクライナ側も予備兵力を拘置せざるを得なくなり、ドンバス地方に兵力を向けられなくなる。
あるいは、チョルノービリ周辺に部隊を留めておいて、いつでも再侵攻できる態勢を維持する形も考えられた。ロシアは撤退後もそういう膠着状態をつくり出すはずだと思っていました。
小泉 私も見事に騙されました。
高橋 おそらくウクライナ軍も騙されたのではないでしょうか。ロシア軍はギリギリまで、全ての部隊を撤退させるような素振りは見せなかったですから。ロシア軍の作戦意図の秘匿と、実施にあたっての思い切りの良さは目を見張るものがありましたね。
小泉 やはりロシアのお家芸は「マスキロフカ」、つまり欺瞞ですね。あの国の軍事ドクトリンにおいては、「我が方の意図を誤解させる」ことを非常に重視している。ロシア軍って本当によく嘘をつくじゃないですか。適当なことを言って、約束は全然守らない。
高橋 そうそう。
小泉 だから、3月末にロシアの国防省が「キーウ周辺からは退いて東部に集中する」と発表しても、素直に信じる人間はいなかったわけですよね。それが本当に言葉通り、キーウ周辺から部隊が綺麗にいなくなった。ロシアの将軍が宣言をちゃんと実行したわけです。これは極めて珍しい。
高橋 本当にそうです。
小泉 撤退の手際はよかったですが、次の戦地に投入するのはちょっと早すぎた気もしますけどね。後方に下がってきた部隊を労わるほどの情けは、どうやらロシア軍にはなかったらしく、すぐに東部ハルキウ方面に送り込んだ。
高橋 普通だったら、少なくとも1カ月は休養にあてますよね。5月9日の戦勝記念日がすぐそこに迫っていましたから、なんとか東部で目に見える成果を挙げようとしたのでしょう。
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source : 文藝春秋 2022年9月号