「ハルメク」成功の方程式

特集「出版不況をぶっ飛ばせ」

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編集長はMBAホルダー。部数3倍には理由があった。 
山岡編集長宣材写真
 
山岡さん

販売部数で「女性誌ナンバーワン」

「ハルメク」という雑誌をご存じでしょうか。主に50代以上の女性を対象とした月刊誌で、定期購読のみで書店には置かれていません。

 私は2017年8月に同誌の編集長になりました。就任時の販売部数が14.5万部だったのが、今では47万部。ちょうど5年で3倍になった計算で、販売部数で「女性誌ナンバーワン」にまでなりました。

 この時代、雑誌といえば右肩下がりという前提が広くあり、その趨勢に逆行して伸びているのはなぜなのかと出版業界の外からも興味を持っていただくようです。今年に入ってからは「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)や、林修先生が司会の「日曜日の初耳学」(TBS系)で立て続けに取り上げていただき、そのたびにさらに1万~2万部増える好循環が生まれています。

 成果だけを見ると「カリスマ編集長」を想像されるかもしれませんが、私自身に天才っぽいところは何もないと自覚しています。

 ただ、一般的な雑誌編集長との違いがあるとすれば、前職の主婦と生活社で編集長をしていた2015年に、経営大学院で経営学修士(MBA)を取得したことが挙げられます。出版業界では異色だったので、同業者から「なんでそんな勉強をするの?」と冷めた目で見られがちでした。自分でも当初は気恥ずかしくて「頼むからその話はしないで」と隠そうとしていたくらいで(笑)。

 それでも今では、経営学を学んだことがハルメクでの現在に生かされていると実感しています。

赤字雑誌の再建を担当

 編集長にはいろんなタイプがいて、面白いコピーや斬新なカットを思いつく「ひらめき型」や、誰もが驚くような人のインタビューを取る「人脈型」などそれぞれに個性があります。私自身は、読者に寄り添ってコンテンツを作るのが比較的得意な「共感型」と分析しています。

 私は前職で赤字雑誌の再建を任されることが多く、時には複数の雑誌を兼任しながら立て直してきました。しかし共感力だけでは誌面の内容を良くすることしかできません。より確実に読者に買ってもらうために、マーケティングという普遍的な知恵を経営大学院で学びたいと考えたのです。

 なぜそういう発想が出てきたかを掘り下げると、20代の頃の経験に遡ります。

 私は1997年に大阪大学文学部を卒業し、主婦と生活社に入社。4~5年目で初めてプチ編集長のような立場になりました。“プチ”と付けたのは、雑誌の内容は任されていたものの、採算の最終的な責任は上司が持ってくれていたからです。

 20代向けのインテリア誌で、このジャンルでは破格の10万部を突破。その売れ行きと、読者から「こんな雑誌がほしかった」とたくさん届くハガキに、私はすっかりいい気になっていました。

 ところがある日、幹部が居並ぶ会議に呼び出されて「4000万円の赤字だから休刊にする」と告げられたのです。根拠として示された資料が理解できず、経理へ駆け込んで「売上と利益の間にたくさん項目があるのがわからない」と泣きつきました。採算を気にしてこなかったので、販管費って何? という状態でした。価格設定や広告は「今のままで読者が喜んでいるんだし」と深く考えなかった結果、売れているのに赤字という事態に陥っていたのです。

 この失敗で、「大好きな雑誌を守るには数字を理解しないとダメだ」と骨身にしみました。

 休刊目前まで沈んだこの雑誌はなんとか起死回生に成功。上司のほうが驚いて、逆に「あいつは数字がわかる」と評価され、赤字雑誌の再建を任されるようになったのです。思えば父が理系人間で、私の高校時代に数学と物理の家庭教師を付けてくれていたのも数字を考える土台になったかもしれません。

 ただ、2010年代に入ると、紙媒体そのものが厳しいなと感じる機会が増えました。象徴的なのは書店が急減していたことですが、産業構造の問題もありました。

 出版業界には、「取次(とりつぎ)」と呼ばれる流通業者を通して全国の書店に配本するという構造があります。取次に納品すればいったん全量の売上を得ることができるため、次の雑誌を作りたい出版社にとって便利な仕組みです。一方で、部数を出版社自身で決められなかったり、委託販売制度により返品を受けなければいけなかったりするジレンマも生じます。

 私が手がけた主婦雑誌でいうと、ライバル誌との付録合戦になっていました。規定の厚みに収まる付録を毎月必死に考え、銭単位でコスト計算する。編集者としてはその戦い方に違和感がありつつ、取次に評価され、書店のいい位置に置いてもらうにはそうせざるを得ないのです。せっかく売り場を確保しても、発売から1週間もすれば後方へ下げられるのを自分たちでは止められません。

 そんな構造の中でしか戦えない閉塞感に悩み、より良い戦い方のヒントを見つけたかったのも、2012年に経営大学院に入った動機です。

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きくち体操の人気もハルメクから

MBAで学んだ4つのこと

 グロービス経営大学院で学んだ3年間は、今やれと言われたらできないくらい大変でしたが、4つの大きな力を得ることができました。

 1つ目は、論理的思考力です。

 経営大学院を一言で表すなら、突き詰めてものを考えることを訓練する学校だったなと感じます。イシューをはっきりさせ、「AもいいけどBもありだね」という曖昧な意見は許されず、AとBのどちらが良いかを多方向からの根拠とともに表明しなければならない。普段の仕事ではなかなか鍛えられない力です。

 2つ目は、俯瞰する習慣です。

 それまでは自分の担当する雑誌に問題があれば場当たり的に対応するという姿勢でした。「この号をとにかく売らないと」「赤字だからコストを削ろう」と目先のことに右往左往して。

 そうした立ち位置から引いて、木ではなく森を見るという視点を学びました。うまくいかない本質的な理由は何か、3年後や5年後、あるいは自分がいなくなった後にも継続させるにはどうしたらいいのかと考えるようになりました。

 3つ目は、数字の理解です。

 正直なところ、アカウンティング(財務会計)やファイナンス(資金調達)の授業は眠気との闘いでした。いくら数字が大事と言っても、編集長の立場では財務諸表を見たり資金調達を考えたりする必要まではなかったので。ただ、当時は予期していませんでしたが、ハルメクホールディングスの経営に加わることになってから役立つことになります。

 4つ目は、人脈です。

 いろんな業界の人と出会って話をするなかで自分の知らなかった視点を知ったのは大きな収穫でした。付き合いは今も続いています。

 卒業までの3年間、仕事の時間は削れないので睡眠を削り、通勤や入浴時、歩きながらでも宿題を考え続け、授業でしょうもない答えを言ってしまって講師から「やめちまえ!」と怒声を浴びたことも。それでも新しい発想に出会う日々は刺激があり、とても楽しかったです。

 卒業後は、社内で企画が次々と通るようになりました。社長や役員に対して論理的にメリットを説明できるようになったからです。

 そして卒業から2年が経とうとする頃、転機が訪れました。

毛筆のヘッドハンティング

 2017年の始め、会社に奇妙な手紙が届きました。和紙の封筒に、毛筆でしたためた宛て名。数多のリリース封筒の中でも目立っていて、知らない個人名なのについ開封してしまうだけの存在感がありました。

 文面を見ると、「とある出版社が再建のために編集長を探していて、よかったら話だけでも聞いてもらえませんか」といった内容でした。

 これがハルメクからのヘッドハンティングだったのです。

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source : 文藝春秋 2022年10月号

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