円安は150円もあるが、問題はその後だ。
なぜ急速に円安が進んだのか
急速な円安・ドル高が進行しています。今年3月上旬には1ドル110円台半ばだったのが、4月後半には130円近くまで下落。約20年ぶりという安値水準を突破してもなお、勢いは止まりません。
この円安は、どこまで進むのか。市場では、今年年末から来年初めにかけて140円から150円ぐらいまで円安になるだろうという予測が出ています。私も、おおむねその水準まで円安が進行するだろうと見ています。
ではなぜ、これほど急速に円安が進んだのか。その最大の理由は、日本とアメリカの金利差にあります。
アメリカはインフレが進行し、物価上昇が急激に進行しています。そのため経済の過熱を抑えるべく、当局が金融引き締めを急ぎ、金利を上げてきました。それとは対照的に、日本はデフレが長く続いてきました。ようやく物価上昇が始まったとはいえ、まだ力強い景気回復とは言えない状況です。そこで大規模緩和を続け、ゼロ金利政策を続けています。
日米の金利差が開くとどうなるか。10年物の利回りがほぼゼロに近い日本国債よりも、約3%近くまで上がった米国債を持っている方が得ですから、投資家の間では円を売ってドルを買う動きが強まる。そのため、円安が進むのです。
この基調は、当面続くでしょう。アメリカの中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)は、年末に向けて継続して利上げを進める構えです。欧州中央銀行も量的緩和を縮小させ、利上げに向かっている。そうした中、日本だけが今後も実質ゼロ金利を続けることが予想されるからです。
日本銀行の黒田東彦総裁は「円安は日本経済・物価にプラス」と繰り返し発言し、2013年3月の就任以来、推し進めてきた金融緩和路線を堅持しています。その結果、日本経済はデフレから脱却し、ようやく物価上昇率が1%台にまで回復してきました。これは黒田総裁の大きな業績であり、評価に値すると思います。
今回の円安を受けて、黒田総裁もさすがに「過度な円安はマイナス」と発言し、従来の主張を一部修正しました。しかしながら、黒田総裁が金融緩和路線そのものを大きく変更することはないでしょう。黒田総裁の任期は来年4月8日まで。そう考えると、少なくとも黒田総裁の任期中に円安基調が変わることはないとみてよいということになります。
ただ、円安に不安を抱く人も多いでしょう。とくに気がかりなのは、家計の圧迫です。折からのガソリン価格や小麦価格の高騰にこの円安が重なり、輸入品の値上がりを心配する人も増えています。
今後、円はどうなるのか。なぜ日銀は円安を続けるのか。円安に打つ手はないのか。円高になる日は来るのか、来るとすればどのタイミングなのか――こうした疑問について、かつて大蔵省(現・財務省)財務官として為替政策にかかわった立場から、お話ししたいと思います。
円安に歯止めがかからない
円安のメリットがなくなった
今回の円安について、鈴木俊一財務大臣は「どちらかというと悪い円安」と表現しました。では、「悪い円安」になっているのはなぜでしょうか。
日本は戦後、原材料を輸入して加工して輸出する「貿易立国」として経済成長を遂げてきました。そのため「輸出を促進する円安のほうが日本経済にプラス」という認識が長らく共有されてきました。円安であれば、日本からの輸出品の価格はドル換算ベースで安くなるため、価格競争で優位に立てるからです。
ところがこの20年、経済のグローバル化が進み、輸出企業の多くが消費市場に近い海外に製造拠点を移しました。現地で原材料を調達し、現地で加工して現地で販売する。そうしたグローバル企業にとっては、円安のメリットはありません。
国内に生産拠点を残している企業でも、全部が円安でメリットを享受できるわけではありません。なぜなら原材料の輸入価格が上がるためです。体力のある輸出企業ならば、販売価格も押し上げられるため、コスト上昇分を輸出価格の増分と相殺できます。一方、輸出をしていない中小企業は、コストが増えるだけなので、円安の恩恵を受けられません。
しかも、もともと原油高基調であったところにロシアのウクライナ侵略が重なり、天然ガスの供給も不足気味となり、エネルギー価格が全面高となっています。それに加えて円安となれば、ダブルパンチです。
いずれにせよ、これだけ経済がグローバル化して企業が海外に出てしまうと、円安のメリットよりもデメリットの方が感じられてしまうのは、当然の帰結です。
「為替介入」はできないのか?
では、この円安に対して、打つ手はあるのでしょうか。
為替市場で急激な変動を抑えるため、各国の通貨当局が自国通貨を売ったり買ったりする「為替介入」が行われることがあります。為替介入は財務大臣の権限で行われ、日銀が大臣の代理として、その指示に基づいて売買の実務的なオペレーションを担うことになっています。
かつて日本は円安が善しとされていたこともあり、急激に円高が進行した際に「円売りドル買い介入」を行ってきました。これによって市場に流通する円の量が増え、ドルに対して相対的に価値が下がるため、円高を抑えることができたのです。今回はその逆の「円買いドル売り介入」をしないのかと、市場関係者たちは注視していました。
ただ、為替介入はそう簡単に行われるものではありません。直近では2011年11月の円売り介入が最後です。円買い介入のほうは1998年6月以来、実に24年間も行われていません。為替介入がそう簡単にいかない理由はのちほど詳述しますが、要するに相手国と協調しないとうまく行かないからです。
ときには「口先介入」という手段が執られることもあります。政府側が実際に市場に資金を投じることなく、要人の発言によって市場に「為替介入があるかもしれない」というメッセージを与え、市場の行き過ぎをコントロールするという手段です。
私自身、財務官や国際金融局長(現・国際局長)の頃、円相場の動きが過熱した際には会見などでメッセージを発することがありました。わりとはっきりと物を言うせいで、「ミスター円」という呼び名が広がったのだと思います。もちろん、ズバズバものを言うからといって、国に不都合なことを言ったことはありません(笑)。
アメリカとの協調ができない
為替介入はなぜ難しいのか。それは、2つのハードルがあるからです。
1つ目のハードルは、「アメリカの理解が得られるか」という点です。
為替レートは単独で決められるものではなく、相手があって初めて決まるものです。円安を是正しようとすれば、必然的に基軸通貨であるドルにも影響が出ます。そこで、為替介入を行う際は、事前に日米両国の通貨当局が合意し、よくタイミングを見計らって呼吸を合わせてやって、初めて効果的に実行できるのです。相手国(この場合はアメリカ)が賛成しない介入は、効きません。
私が財務官を務めた1990年代に「円売りドル買い介入」でうまく円高を是正できたのは、日米の意思疎通がうまく行っていたからです。
当時、クリントン政権で財務長官を務めていたロバート・ルービンは、「強いドルが国益にかなっている」というスタンスを貫いていました。それまでの「ドル安で米国の輸出を増やす」というスタンスから大きく政策を転換したのです。ルービンは、ドルの価値を高めることで米国債を売り、世界中から低利で資金を集めようとしていました。ニューヨーク市場に世界中から大量の資金を集めることで株価や債券市場を押し上げ、貿易赤字を補い、国際収支のバランスを取ったのです。
一方、日本は輸出を後押しするために円安を期待するスタンスでした。そのため、日米の利害は基本的に一致していたのです。
もっとも、97年、98年には例外的に「円買いドル売り介入」をしています。これは円高ドル安方向の介入であるため、一見、日米の意向が逆方向であるかのように見えます。ただ、やはりこれもアメリカの意向に沿ったものでした。
当時、国際金融市場に吹き荒れていたのはアジア通貨危機の嵐でした。タイ、インドネシア、韓国がIMF(国際通貨基金)の管理下に入り、その影響は日本にも及んでいました。また、日本国内では金融危機が起き、北海道拓殖銀行が破綻するなど、深刻な状況に陥っていました。そうした状況下、日本としては過度の円安進行で株安が進み、企業マインドが冷え込んでいく連鎖を回避する必要がありました。
これに対してアメリカも、行き過ぎたドル高で資金が米国市場に過剰に集中し、株式市場を不安定にしかねないという懸念がありました。そこで日米金融当局の利害が一致し、協調介入したのです。アメリカが「日本政府の事情を慮った」のではなく、アメリカの国益にかなうからこその介入でした。昔から「アメリカ・ファースト」ということです。
では現在はどうか。アメリカの最優先課題は、インフレの抑制です。日本が「円買い介入をして円高に誘導したい」と言い出したとしても、それにアメリカが頷く可能性は低いでしょう。なぜなら「ドル売り」介入をしたらドルの値が下がり、輸入物価を押し上げてインフレを悪化させてしまうからです。
2つ目のハードルは、円買い介入を効果的に行う手段が限られていることです。
一般的に、円売り介入は、それほど難しくはありません。短期の国債をどんどん発行して円を調達し、それを売ればいい。資金が調達出来さえすれば、限界はありません。
一方、円買い介入には限界があります。なぜなら、外貨準備高として日本が保有しているドルを売って円を買うというオペレーションになるからです。日本の外貨準備高は、直近では約1.4兆ドルですが、この蓄え以上のドルを売ることはできません。
私も円買い介入をした経験がありますが、当時の外貨準備高の10分の1を使ってしまったことがあります。「これではあと9回しかできないな」と焦った記憶があります。
円買い介入を繰り出せる回数、規模には限界があるため、それを投機筋に「もうこの後に介入はないな」と見透かされたら、一挙に反動がやってくることにもなりかねない。
そうしたこともあって、現在の局面で円買い介入をするのは相当難しいのです。
「利上げ」の近未来が見えてきた
こうしてみると、この円安に対して当面は打つ手はない、ということになります。ただ、そう慌てる必要もない、というのが私の考えです。
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source : 文藝春秋 2022年6月号