日本型組織の長所と短所/『失敗の本質』戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎

ベストセラーで読む日本の近現代史 第41回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
エンタメ 読書

 日本の企業、官庁などの組織が持つ長所と短所についてバランスよく解明した古典的名著だ。筆者は、本書を1984年に刊行された直後に読んだ。当時、筆者は同志社大学大学院神学研究科修士課程の2年生で、大学院を出た後は外務省に勤めようと思って外交官試験の準備をしていた。自分が疎い官僚組織についての知識を身に付けようと思い、「日本軍の組織論的研究」という副題に引き寄せられて、学生会館2階の生協購買部でこの本を手に取って、立ち読みをした。面白そうなので購入して、同じ階にある喫茶店でむさぼるようにして数時間で読んだことを覚えている。まず、印象に残ったのが、名提督と思っていた山本五十六連合艦隊司令長官に対する以下のような辛口の評価だ。

〈その戦略構想は、真珠湾攻撃とミッドウェー作戦に見られるように短期決戦思想に強く彩られている。「それは、これからの海上作戦はいかなる様相で戦われるかを徹底的に究明し、航空兵力こそ作戦の主兵であるとの認識に基づいて立てられた作戦でなかった」(千早正隆『日本海軍の戦略発想』)のである。「大勢に押されて立上がらざるを得ずとすれば、艦隊担当者としては到底尋常一様の作戦にては見込み立たず、結局桶狭間と鵯越(ひよどりごえ)と川中島とを併せ行うの已むを得ざる羽目に追い込まれる次第に御座候」といっていたように、開戦時の連合艦隊の作戦計画は、伝統的艦隊決戦と山本長官の真珠湾奇襲攻撃の妥協案であった。それは帝国海軍の継戦能力の冷徹な分析に基づいたものであったが、井上成美中将の持久戦をも考慮した航空戦力重視構想とは異なる。その点で、「日露戦争の戦訓で太平洋戦争を戦った」とも指摘されている。〉

根回しと腹のすり合せ

 その後、外交官になってからも、本書を何度も読み直した。本書の内容のほとんどは、外務省をはじめとする官僚組織に現在もあてはまると思った。特に教育制度についてだ。

〈教育システムについては、代表的なものには陸軍士官学校、海軍兵学校があり、さらに、陸士、海兵の上に陸軍大学校ならびに海軍大学校があった。/教育内容については、海軍兵学校では理数系科目が重視され、また成績によって序列が決まったので、大東亜戦争中の提督のほとんどは、理数系能力を評価されて昇進した。陸軍士官学校では、理数よりも戦術を中心とした軍務重視型の教育が行なわれた。理解力や記憶力がよく(これは理数系重視型教育においても同様であるが)、それに行動力のある者は成績がよかった。しかし陸軍の場合には、海軍と異なり陸士の成績よりは陸大の成績がその後の昇進を規定した。陸大卒業者は、記憶力、データ処理、文書作成能力にすぐれ、事務官僚としてもすぐれており、たとえば東条大将はメモ魔といわれたほどだが、またその記憶力のよさも人を驚かせていたといわれる(熊谷光久「大東亜戦争将帥論」)。/このような教育システムを背景として、実務的な陸軍の将校と理数系に強い海軍の将校が、大東亜戦争のリーダー群として輩出してきた。しかしいずれのタイプにも共通するのは、それらの人々がオリジナリティを奨励するよりは、暗記と記憶力を強調した教育システムを通じて養成されたということである。〉

 難関大学の入学試験、国家公務員試験、司法試験で問われるのは教科書の内容を記憶し(必ずしも理解していなくてもいい)、その内容を1時間半から2時間の制限時間内に筆記試験で再現する能力だ。このような能力は官僚としての必要条件ではある。しかし、この条件を満たしているからといって、外交官として業績をあげることができるわけではない。それだから、実際の仕事を進める上では、公の役職とは別の属人的なネットワークが重要になる。本書では、このようなネットワークについて否定的な評価がなされている。

〈本来、官僚制は垂直的階層分化を通じた公式権限を行使するところに大きな特徴が見られる。その意味で、官僚制の機能が期待される強い時間的制約のもとでさえ、階層による意思決定システムは効率的に機能せず、根回しと腹のすり合せによる意思決定が行なわれていた。〉

 外交官時代に、筆者が深く関与した北方領土交渉についても、公のラインよりも、ロシア・スクール(外務省でロシア語を研修し、対ロシア外交に従事する外交官の語学閥)の中での属人的関係が意思決定においては重要だった。日本の北方領土交渉が動いたのも、ロシア・スクールの首領(ドン)だった東郷和彦氏が、ソ連課長、欧亜局審議官、条約局長、欧亜局長など外務本省で北方領土交渉の意思決定に関与する立場にいるときだけだった。東郷氏の小間使いのような役回りをしていた筆者も、下剋上的な行動をしたことが何度もある。例えば、2000年12月25日に鈴木宗男自民党総務局長とプーチン露大統領側近のセルゲイ・イワノフ安全保障会議書記が会談する前には、「絶対に秘密が漏れることがないように」との森喜朗首相の命令に従って、小寺次郎ロシア課長には鈴木・イワノフ会談を準備しているという事実を一切伝えずに、東郷欧亜局長の指示に従って発言要領や森首相親書を作成した。筆者に言わせれば、森首相、川島裕外務事務次官、東郷欧亜局長の直接の命令に従って動いていたわけで、別に組織の秩序を崩したつもりはない。しかし、ロシア課長や課員からすれば、国際情報局という別組織に所属する主任分析官の筆者が、政治家や外務省幹部との属人的な関係を利用して、下剋上的な動きをしているように見えたのであろう。後に筆者はこのツケを鈴木宗男事件に連座して、東京地方検察庁特別捜査部によって逮捕されるという形で支払うことになったのである。しかし、今になって振り返ってみても、通常の外務省のラインに従っていては、1998年4月の橋本龍太郎首相からエリツィン大統領への「川奈秘密提案」も、2001年3月の森喜朗首相からプーチン大統領への「イルクーツク秘密提案」も実現しなかったと思う。これらの外交交渉の積み重ねの上で、2016年12月15日の山口県長門市での安倍晋三首相とプーチン大統領の会談も成立したわけなので、筆者は自分の外務省時代の、通常の外交官と若干異なる対応を悔いていない。また、政治の嵐に巻き込まれて、512日間、東京拘置所の独房で生活したことも、「難しい仕事にはそれ相応のリスクが伴う」と割り切っている。

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source : 文藝春秋 2017年02月号

genre : エンタメ 読書