山下奉文/米国で発見された獄中手記

特別企画 昭和魔人伝

保阪 正康 昭和史研究家
ニュース 昭和史

“マレーの虎”は最後に何を書き記したのか

「イエスか、ノーか」

 昭和17(1942)年2月15日、難攻不落と謳われたシンガポール要塞を攻略した陸軍第25軍司令官の山下奉文(ともゆき)は、イギリス軍を率いるアーサー・パーシバルに、そう言って降服を迫ったとされています。

山下奉文

 従軍画家・宮本三郎は、「山下、パーシバル両司令官会見図」で、左腕を前に振り上げ、いかにも高圧的な態度で会談に臨んだ“猛将”山下の姿を描きました。

 太平洋戦争開戦の火ぶたを切ったマレー作戦を成功させた山下は“マレーの虎”と讃えられ、一躍、国民の英雄となったのです。シンガポール陥落を祝した日比谷公園での一大祝賀会には、10万人もの人々が詰めかけ、その異名は海外にまで轟きました。

 戦争末期は、第14軍司令官としてフィリピン戦線を指揮、最後まで山中で抗戦を続けました。敗戦後の9月3日、ルソン島北部のバギオで降伏文書に調印した後は、戦犯としてマニラで軍事裁判にかけられ、死刑判決を受けます。そして昭和21年2月23日、ロスバニョス刑務所で絞首刑に処せられました(享年60)。遺体は刑場付近に埋められたとされますが、正確な所在は不明です。

 死後も彼を慕う声は多く、複数の関係者が、山下との思い出を綴った本を出版しています。また、一方的な戦犯裁判には連合国側からも批判の声があり、山下の弁護団の一員であるフランク・リールも、山下に同情的な著作を著しています。さいたま市青葉園には、遺骨はありませんが、有志が建てた墓があり、園内の記念館には寄贈された遺品も残されています。

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source : 文藝春秋 2019年8月号

genre : ニュース 昭和史