1983年にNHKに入り、99年から今年退職するまでの25年間はずっと、ドラマやドキュメンタリーの「時代考証」を専門にしていました。
放送局員による時代考証とはどんなものでしょうか? 番組の台本を通読して、ドラマなら歴史的におかしな衣裳、大小の道具、台詞や動作等を、ドキュメンタリーなら史実と違う映像や不正確な用語をチェックし、それらの修正案をリスト化して提示する作業です。また必要に応じて、スタジオやロケ現場に立ち会い、出演者の動きや台詞のイントネーションに改定意見を述べることもあります。
具体例を挙げますと、台本に「青年福沢諭吉がきつねうどんを食べている」とあったらNG。きつねうどんの発明は、明治26年だからです。ついでながら「青年」も明治13年東京YMCAが設立された時の造語なので、江戸時代人の台詞には使えません。戦前ドラマのスタジオで憲兵将校が「憲兵」という腕章を右腕に巻いていたら、「腕章は左腕に、憲兵下士官・兵が巻くものです」と、外してもらいます。東京の町中華のラーメンに、スープを飲むためのレンゲが付くのは昭和40年代後半以降。第一次大戦の資料映像を見て「開戦の年には、どの国の軍隊もまだ鉄兜を採用していないから、このシーンで出てくるのはおかしい」と指摘もしました。
時代考証第一の極意は「おかしなものをださない」です。考証は裁判と違い、「疑わしきは死刑」となります。
大河ドラマや特番歴史劇では、日本史、風俗、建築等専門の研究者を招いて、物語の歴史的裏付けを確保するための「考証会議」が開かれます。ここでは「歴史的にはそっちが正しい」という先生方と「いや演出的にはこっちで行きたい」という制作担当者の意見がかみ合わないことがしばしば起きます。
そういう時私は、双方の間に立って妥協策を考えます。若手時代に古典芸能番組を担当して古風な言い回しが色々わかるし、大学では西洋史を専攻したので、日本史の先生方とは違う観点での提案ができるのが強みです。
この結果、場面そのものをカットしたり、台詞をちょっと言い換えたりすると、不思議にうまく収まります。時代考証を重んじた劇作家・真山青果(1878〜1948)は代表作「将軍江戸を去る」の冒頭で、江戸無血開城をめぐる勝海舟と西郷隆盛の会見につき、「本当は二度行われている。しかし劇化の便宜上、一つの場面に縮めた」と書いています。つまり劇的感興のために、敢えて歴史を加工しているのです。何もかも史実通り正確に再現するのではなく、一部をわざとぼかしたり変えたりすることで、過去世界のリアリティはかえって高まることがあります。
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