今さわやかな喪失感につつまれて、この原稿を書いている。今日は8月16日。昨日まで3日間、祭りのように熱っぽく続いた第10回ロシア語映画発掘上映会が終わってしまったから。今回の上映は、ウラジーミル・ヴィソツキー主演の大人気ドラマ『待ち合わせ場所は変えられない』だった。彼は日本でも知名度が高いソ連の人気俳優で、作品は全5話、6時間超の大作だ。
世の中広しと言えど、おそらく、ロシア語を専門とする字幕翻訳者で、自ら上映権の交渉をして、映像を受け取り、字幕翻訳をし、映像に字幕を焼きつけ、会場を確保し、上映会の宣伝をし、当日の会場運営をしきるなどという「なんでも屋」は、私ひとりだけだと思う。おまけに、会計と納税手続きまでやっている。
なぜ、こんなことになってしまったか? それは私が有能だったからでは全くなく、重なりあった偶然に押されに押され、やるしかないと決心する状況に陥ったからだった。
コロナ禍も知らない数年前、私は「ロシア映画祭 in 東京」というロシア連邦文化省が主催する映画祭の字幕翻訳を任せてもらっていた。以前から大学のロシア語講義の教材として、ロシア映画に字幕をつけることもあった。
初めて劇場公開映画の字幕を手がけたのは、2020年公開の『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』。奇しくも、ドヴラートフは私が大学院で研究対象にし、論文まで書いた作家だ。同じ頃、日本でまだ無名だったセルゲイ・ロズニツァ監督のドキュメンタリー映画も引き受けることになり、本格的に劇場公開映画の仕事に乗り出した。ロシア語の映画に日本語をつけると、一気に多くの観客をひきつける。楽しいし、やりがいのある仕事だ。
コロナ禍で映画業界は苦戦を強いられたが、ようやく世の中が平常に戻りそうになった矢先、ロシアによるウクライナ侵攻が起こった。
これは私を打ちのめした。あらゆる点で。民間人の犠牲はもちろんのこと、多くの若者たちが兵士として人を殺す、死ぬという事実が恐ろしい。ロシアは急に遠のいた。ロシア映画の配給はほぼ止まってしまった。大変なことが起こっているのだから、仕方ない。ただ、とても寂しく悲しかった。
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