「お前が居たから俺はここまで来た」って言ったけど「俺は違う」って
房総丘陵を一望する千葉県・君津市の鹿野山は、県内では愛宕山に次いで2番目に標高が高く、冬になれば氷点下まで冷え込むことも珍しくない。シーズンオフの1973年1月。青木功は山の懐にある鹿野山ゴルフ倶楽部に籠って球筋を変える猛特訓に励んでいた。
「雪がチラチラと舞っていた。でっかいドラム缶に火を焚いて、汗で濡れた髪がつららになるような寒さの中で、何百球ボールを打ったかわからないよ」
64年にプロ入りした青木が初優勝したのは71年だ(関東プロゴルフ選手権)。3年前に日本はGNPでドイツを抜き、アメリカに次いで世界第2位の経済大国に躍り出た。
好景気の追い風を受け、日本ではゴルフ人口が急増。ゴルフ場の建設ラッシュがはじまり、第二次ゴルフブームが到来した。66年、日本で行われたカナダカップ(現在のW杯)にジャック・ニクラウスやアーノルド・パーマーら海外のスター選手が出場したことが大きな話題となり、国内選手では青木とジャンボ尾崎こと尾崎将司の「AO」が全盛期を迎える。2人の真剣勝負にゴルフファンは釘付けになった。
だが、青木のゴルフ人生は決して順風満帆なスタートとは言えなかった。15歳から研修生生活を始めて22歳でプロ入りしたものの、初優勝は28歳。青木を世界の頂点にまで押し上げたのは、一匹狼を地で行く男の泥くさい努力と、「ライバルに負けたくない」という強烈なハングリー精神に他ならなかった。
「四国に尾崎あり」
初めてAOが直接対決したのは、青木がプロ初優勝を果たした翌年、72年の関東プロだ。前年に青木はこの大会で優勝したディフェンディング・チャンピオンだった。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2024年11月号