「たかが選手」発言はなぜ生まれたのか
7月8日。ナゴヤドームでの中日・ヤクルト戦の試合後だ。当時の選手会会長だったヤクルト・古田敦也が「オーナーと直接、話をする機会を持ちたいか?」と取材陣に聞かれてこう答えた。
「そうですね。いいですね。開かれた感じでいいと思います」
古田の発言そのものは「できればいいですね」くらいの“希望”のニュアンスである。ところがこれを少し違ったニュアンスで伝え聞いた渡邉から、問題の発言が飛び出したのである。
東京・大手町のパレスホテル内にある行きつけの料理屋で会食を終え、アルコールも入った渡邉が記者から受けた質問はこうだった。
「明日、代表レベルと選手会の意見交換会があるのですが、古田選手会長が代表レベルだと話にならないので、できればオーナー陣と会いたいと……」
古田に質問した記者が、渡邉に質問をしているわけではない。デスク経由で古田の発言が渡邉を取材している記者に伝わり、かなり違ったニュアンスで投げかけられている。“希望”が“要求”という形で伝わったわけである。
その結果、あの言葉が出てきた。
「無礼な! 分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が!」
とっさにこの言葉がまずいと思ったのか、渡邉は切って返す刀で、こうフォローした。
「たかが選手といっても立派な選手もいるけどね。オーナーと対等に話すなんて協約上、根拠は一つもないよ」
だが、ときすでに遅し、である。
「スポーツ紙記者のはめ取材」と批判するも……
それが質問のせいだったのか、それとも渡邉の心の根っこに「たかが」という思いがあり、それが咄嗟に言葉となって出てきたのかは分からない。
渡邉はのちにこのやりとりを振り返って、「スポーツ紙記者のはめ取材だった」と批判をしている。伝言ゲームのように伝わってきた古田の発言は、渡邉の元には正確に伝わっていたわけではなかったのも確かだ。
ただこの伝言ゲームによって伝えられた言葉と、それに応じた渡邉の発言が、球界再編のその後の流れを大きく転換することになった。それだけは紛れもない事実だった。
「たかが選手」という言葉が翌日の新聞紙面に踊り、それをテレビの情報番組が一斉に取り上げた。元来の歯に衣着せぬ物言いと逆指名制度の導入など強引な手法に野球ファンからは渡辺に対する拒絶反応が強かったこともある。そうして渡邉は「世紀の悪者」(文藝春秋2004年12月号の本人手記より)となって、プロ野球ファンの怨嗟の対象となっていくわけである。