昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2019/05/31

2つの教員免許を取得した山内さんの大学時代

――じゃあ、漫才師になろうと思ったのは?

山内 お笑い芸人になりたいというのは、漠然と『ごっつ』の時から思ってて。ただ、島根だと、芸人になる人なんて周りにも居ないですし、リアルじゃなかったんで、とりあえず大学に行って決めようと。親が教員やったんで教師になろうかな、ぐらいの感じで教育大学に行きました。ただ教育実習に行ったらあんまり楽しくなかったんで、就活もせず、じゃあ一回行ってみようって、NSC行って。その時は超就職氷河期で教員の採用がメッチャ少なかったこともあり、親も「2~3年やってみたらいいんちゃう?」みたいな感じでしたね。たまたまABC新人賞がすぐ取れて。

 

――山内さんは、中学の社会と高校の日本史の教員免許を持ってらっしゃるんですよね。それでも漫才師の道を選んで。

山内 もっと楽して稼げると思ってました。休むときは休んで、たまにパーッとテレビに出てドカーンと稼ぐみたいなイメージやった。ちょっとそれは違いましたが。

――イメージとは違っても、後悔はないですか?

山内 はい、他の仕事をやるよりかは楽しいだろうなという感じですね。

 

――お笑いは、スニーカーとか猫とか、自分の好きなものの中のひとつ。

山内 そうですね。たまたまそれで稼げてるという。

――猫で稼げたら……。

濱家 猫でいい。

山内 猫でいいです。

――『ねこのきもち』は……。

山内 お金にならない。

濱家 やめろ(笑)。

 

「NSCで一番にやめる部類の人間だった」(濱家)

――濱家さんは、お笑いを目指すきっかけは?

濱家 僕もそうですね。最初は『ごっつええ感じ』を見て、そこからずっと憧れてた。僕は山内とは逆で、クラスのお調子者で、みんなに「吉本行け、吉本行け」みたいに言われてて、そのまま入ってきた感じです。ただ単にちょけたやつがお笑いのこと何も分からないまま。おそらくNSCで一番にやめる部類の人間。人のネタ見ても、なんでおもろいか分からへん。フレーズで面白いとか、ニュアンスで面白いとか全く知らなくて。トークの仕方も知らんし。面白い人たちの中で、何となく覚えていったみたいな感覚がありますね。