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“キューバの大谷翔平” ホークスの育成選手コラスと通訳ゲレーロの二人三脚

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/06/21

 今、ホークスで一番支配下「奪Sh!」に近い育成選手は、個性溢れるパイナップルヘアーがチャームポイントのオスカー・コラス選手!

 豪快なスイングから放つホームランの放物線のように、大きな大きな成長曲線を描いています。

パイナップルヘアーがチャームポイントのオスカー・コラス ©上杉あずさ

2軍で輝きを放つ「キューバの大谷翔平」

 5月は23試合に出場し、打率.333。安打数30と打点21はウエスタン・リーグトップの成績を残し、ファーム月間MVPに輝きました。チームには長谷川勇也選手や江川智晃選手といったベテランの強打者もいる中で、背番号144の育成選手ながら多くの試合で2軍の“4番”を務め、本塁打も5本放つ活躍を見せました。

 そんなコラス選手はキューバから来日して3年目、まだ20歳の若者です。「キューバの大谷翔平」といわれた潜在能力の持ち主で、当初は二刀流にも挑戦していました。昨年からは、持ち味のパワーを存分に生かすために野手に専念し、1日も早い支配下選手を目指しています。

 7月には、1軍で絶対的存在となっているグラシアル選手がキューバ代表に召集されるため、一時不在となります。そのため、ここで猛アピールを続ければ、コラス選手にも支配下のチャンスが巡ってくるのではないか……そんな期待も高まります。

 小川2軍監督は、「グラシアルのことは関係なく、支配下になる条件は1軍の戦力として認められること」といいますが、2軍でしっかり結果を出しているコラス選手の大きな成長はちゃんと認めてくれていました。だからこそ、これまでとは求めるレベルも上がり、1軍を見据えた上での結果を求められるようになりました。

 来日した頃のコラス選手は、低めの変化球が苦手でした。「打ちたい気持ちが先走って、ボール球でも振ってしまっていたけど、今は四球を選べるようになりました」と入団時から近くで見てきた大道打撃コーチも技術の向上に目を細めます。早めに足を上げてタイミングをゆったりとれるようになり、逆方向へのヒットも増えてきました。昨季までと比べて、確実性も増しました。

昨季までと比べて、打撃の確実性が増した ©上杉あずさ

ホームシックを乗り越えて、日本に順応

 何よりも、首脳陣やチームメイトがそろって感じているのは、コラス選手の“意識の変化”です。来日時は18歳だったこともあり、喜怒哀楽も激しく、まだ幼さが随所に現れていました。

「コラ、コラス!」

 と怒られることも多々ありました……。

 しかし、今では精神的にも大人になり、日本の野球に順応してきました。

 コラス選手自身も、バッティングで結果を出せるようになってきた一番の要因は「日本の野球がわかってきた」からだと感じているようです。

 日本人投手の傾向などは試合の中で覚えてきました。練習メニューにも少しずつ慣れていきました。キューバではあまり走るメニューはやってこなかったから苦手でしたが、ホークスに来てからは本当によく走っています(走らされています笑)。キャンプ中や練習日に行われる12分間走やヨーヨーテストでは、最後まで走り切れず「キツイ」と諦めてパタリと横になることも度々ありました。でも今では、苦しみながらも自身の限界を突破しようと頑張っています。

 言葉や文化に慣れてきたことも、野球をより頑張れるようになった一因です。

 コラス選手は今年の4月から筑後の若鷹寮を出てアパート暮らしをはじめました。来日してしばらくは親元を離れてホームシックになり、逃げ出してしまうんじゃないかというくらい「帰りたい」と言っていたそうです。だけど、今では一人でスーパーで買い物もできます。

 また、初めは食事も口に合わず、食べられないものばかりでした。そんな時は入来3軍投手コーチがコラス選手のために毎日のようにピザを頼んでくれました。

 今では好きな食べ物は「ヤキニク」。自宅のキッチンに立って肉を焼くこともあれば、遠征先ではチームメイトと焼肉店に行くこともあるそうです。通訳を伴わないこともしばしば。同じ育成で同級生の田城選手と2人で焼肉に行った時は、日本語と英単語やジェスチャーを駆使してコミュニケーションをとったそうです。